ひきつづき、弱さについて
「弱いのは悪いことじゃない」と本気で最近そう思うんだけど、親しい人にそれを話したら「でも、弱いままでいいと思ったらだめだよね」と言われて、そうなのか?うーん、となった。
「弱いのは悪いことじゃない」というのと「弱いままでいい」というのは、私の中ではまったく別のことだからだ。
何かが人よりできなかったり、人と違ったりすることが、社会の中で不利に働くとき、それは「弱さ」として機能しはじめる。ただの特徴をマイナスの価値にしているのは社会の方だ。
「弱さ」は相対的に見れば、プラスの価値にもなり得る。スポーツで弱いチームを思わず応援したくなったり、今にも壊れそうなガラス細工が美しかったりするのは、「弱さ」が繊細さでもあり美しさでもあり、優しさでもあり、人を巻き込む力でもあるから。弱いのが悪いことじゃないと思うのはそういう理由。
私は、「弱いままでいい」と後ろ向きにあきらめるのではなく、「弱さ」を生み出してしまう背景や構造について考えたり、「弱さ」の可能性をとらえなおしたい。なんというか、前向きにあきらめたいのかも。
だけど、やっぱり強くなろうとする気持ちも必要な気がする。強くなろうとすることもまた、優しくなろう、明るくなろう、人の役に立とう、みたいなプラスのエネルギーだから。弱いからこそ、強くなりたいと願い、強くなろうと努力する。そういう姿に人は心を動かされる。
そもそも、強い/弱いで人の価値を考えることがナンセンスなのかな。結局のところ、私たちはそんなに弱くもないし強くもない。状況次第で弱くもなるし強くもなれる。努力してどうにかなるなら頑張ればいいし、個人の努力ではどうにもならない「弱さ」は受け入れるか、新しい価値に変換していくのがいいと思う。
毒にも薬にもならない文章ですが、漢方薬くらいにはなればと思っています。少しでも心に響いたら。