入院日誌|病と。⑧本能のままに
入院27日目。あと3日で退院!
今日は友達に付き合ってもらって、新宿御苑を散歩した。
ひんやりした空気に、真っ青な空。太陽の下で、花々は光るように咲いている。スイセン、ロウバイ、寒桜、ジャノメエリカ。知っている花も知らない花も、ひとつひとつ見て回る。冬ってこんなに鮮やかだったのね。
***
その友人と会うのは2回目だったけれど、すぐに何かが通じ合った。彼女のことは全然知らないのに、出会ったばかりな気がしない。なんでだろう、なんでだろう……。分からないまま、恋愛話に花を咲かせ、芝生に寝転がって芝だらけになった彼女の背中をはたく。
「何か」の正体は、ほどなくして分かった。
彼女は私と同じ能力の持ち主だった。言葉を扱うことが好きで、論理的に物事を組み立てたり教えたりすることが得意。でも、その能力を活かす方法が分からずにいる。
自分にとっては普通にできることが、他人にとってはどうやら普通ではないらしい(これって特殊能力かも!?)、と気づいた時の驚きは、人生の折々で実感に変わり、いつしか生きる上での道しるべになっていく。
作家になれるほど、物語を生み出すことに長けてはいない。でも、人から何かを受け取りさえすれば、言葉という形にして返すことができた。うまくまとまらないアイデアを短い言葉にまとめ、通じ合わない2人の間を取り持ち、めちゃくちゃな日本語を交通整理し、分かりにくいことを分かりやすく説明する。そんなことが人に喜ばれるらしいと気づいたのは、いつのことだったろう。なんとなく得意な役割をこなすうち、漠然と、自分は言葉に関わる人になるんだと思うようになった。
ところが、である。大学3年生の時、初めて就職活動ということをした。それまで液体のように形を持たなかった得意意識は、どこかの会社で、なにかの職業に流し込まれる必要に迫られた。私の得意なことは、いったいどんな職業に当てはまるのだろう。こんなことが得意な私は、どんな性格ですと名乗ればいいのだろう。選択肢のどれもが間違っているように見えて、どこの会社にも入る気がしなかった。結局私は、唯一内定をもらった会社を辞退し、大学院に進学することを選んだ。
なんとかかんとか大学院を修了し、憧れの出版業界で働くようになった今も、自分の能力を活かす道は見つかっていない。
そもそも、どうして「自分の能力を仕事に活かしたい」なんて考えるのだろう。仕事がただのお金を得るすべなら、こんなに悩むことはない。スーパーのレジ打ちでもバナナの皮むきでも何でもやればいい。でも、そういう問題じゃないから困っているのだ。
「自分の能力を仕事に活かしたい」の「仕事に」を一旦括弧に入れてみる。
持って生まれた能力を活かすことは、第一には自分に対する責任だと思う。というより、本能だ。より生きやすい方へ、よりワクワクする方へ。ようは、頭や体が生きようとしているのだ。それを押し殺し続ければ、たぶん人は死ぬ。おおげさじゃなく、本当にそう思う。
そしてそれは、この世界に対する責任なのだと思う。だって、能力を育ててくれたのは自分だけでなく、それを評価してくれる人や環境、ひいてはこの世界全体だから、一生かけて恩を返していくのだ。
一人一人がそうやって生きる/活きることの繰り返しで、人間は少しずつこの世界を良くしようとして、新しいものや考え方を生み出してきたんじゃないか。実際にこの世界が良くなっているのかどうかは、さておき。
改めて、「自分の能力を(仕事に)活かしたい」の括弧を外してみる。
ネットで調べてみたら、「仕事」とはもともと「すること」という意味しかなく、「すること」は「すべきこと」でもあるために、お金を稼ぐために働くこと=職業を指すようになったらしい。実際、仕事をせずに生きていくことは難しいし、人生の中で仕事が占める割合は大きい。まさに仕事は「やるべきこと」と直結している。
けれど、昔はともかく、今は個人に職業選択の自由があるわけだから、私たちは仕事を選ぶことで、まだ名前のない自分の生き方に形を与えていくことになる。そのとき、仕事は「するべきこと」であるだけでなく、「したいこと」や「できること」をも含んだ生き方に結びついている。生きたい、という人間の本能があるかぎり、自分の能力を仕事に活かしたいと願うのは、当然のことじゃないだろうか。
「好きなことをして生きたい」なんて言うと自分勝手みたいに聞こえるけれど、生きようとして何が悪い。私たちだって動物だ、本能にしたがえ。その方がこの世界はきっと良くなる。
そう言い切ってみたところで、人生を軌道修正するのは簡単じゃない。
私はどこへ向かえばいいのか、未来は深い霧の中。
それでも「生きたい」という最低限の望みさえ捨てずにいれば、なんとかなるような気がしている。
***
毒にも薬にもならない文章ですが、漢方薬くらいにはなればと思っています。少しでも心に響いたら。