入院日誌|病と。②追憶とうつわ
入院2日目。
リツキサン点滴開始。12時から17時まで、経過観察のため安静。
初めての点滴は、まさかのお昼ご飯と時間がかぶり、食事しながらの投与。
副作用は最初の方に少し身体のほてりや喉の違和感が出たものの、抗アレルギーの薬を飲んだら収まった。
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夜と朝。
ふっと過去に引き戻される。
他人の気配がするところで寝るのって意外と心地よい。普段は実家だけれど、自分の部屋で寝ているから両親の寝息までは聞こえない。子どもの頃は、私が両親の間にはさまれて、家族川の字になって寝ていた。すー、すー、時々ごー、すー、すー、自分とは違うリズムで刻まれる呼吸の音に、なんとなく安心して眠れたものだった。静かすぎる一人の夜より、こっちの方がずっと好き。
病院の食事は塩分制限があって、あまり美味しくは……ない。患者の健康を一生懸命考えてくれたメニューなのだから贅沢は言えないけれど、やっぱり良くても「まあまあ美味しい」くらいで、「ん〜、美味しい!」というほどの喜びはない。それでもお腹は空くからペロリと平らげてしまう。これしかお腹に入れるものはないのだから、あまり早く食べてはもったいない。少し食べるペースを落として、綺麗に切られたオレンジをつまみながら、ふと曽祖母のことを思い出した。晩年施設に入っていた曽祖母は、品のあるお茶目な性格で、歳を取っても可愛い人だった。性格はともかく、私の手の形はひいおばあちゃん譲りだ。その曽祖母の手が果物を取って、丁寧に皮をむく仕草が私は好きだった。いや、実際に見たことがあるのかどうか定かではないが、今朝オレンジの皮をむく自分の手を見ていたら、そんな映像が再生された。
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今日心に響いたものは、『うつわと一日』(港の人)の中の文章。
思い通りになるものは、自分も飽きる。そして、他人にも飽きられやすい。愉しくない。諦めるという知には、飽きることなどない。葛藤があり慟哭がある。その果てに、諦めるのだ。諦めることから始まる複雑で豊かな世界がある。広がりがある。愉しさがある。
器づくりについて言った言葉なのだけど、なんだか今の私には、この言葉がよく分かる。
何かを達成することに喜びを感じる人と、何かを始めることに喜びを感じる人がいるとすれば、私は圧倒的に後者だ。だから「終わること」はあんまり悲しくない。卒業式でも泣いたことがない。この病気になってから、人生や日々の生活の中で「諦めること」を知って、悔しい思いもした。だけど、病気にならなかった順風満帆な人生と今の人生、どっちがいいかと訊かれたら、今の人生を選ぶと思う。そっちの方が面白いから。悲しいことや嬉しいこと、心を揺さぶってくれる出来事が面白くって仕方ないから、飽きずに生きていられる。それはきっと、この本の著者が言う「愉しさ」に近い。諦めた分だけ、新しいことを「始めること」ができるから。ひとつの扉が目の前で閉まったら、背後では別の扉が開いている。それをどんどん開いていく。そういうふうに生きたい。
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毒にも薬にもならない文章ですが、漢方薬くらいにはなればと思っています。少しでも心に響いたら。