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今のところドイツが好きです

ドイツに来て4カ月経ちましたが、

今のところドイツが好きです。

食事は正直、そこまで美味しくない。ドイツ。

サービスも良くない。日本のサービスは最高。間違いない。

コンビニも無い。買い物は不便だ。ドイツ。

でも、

でも、

正直それは自分にとってはそれらは二次的なこと。

人生をで豊かな時間をすごすという意味では「便利であること」は自分にとっては本質ではない。

自分にとっての本質とは、

時間の流れが尊重されている、という事だろうか。

過去があり、現在があり、未来がある。

それぞれが尊重されている。

過去が尊重されている。

古い価値やそこにある自然を努力して維持している。ドイツ。

未来が尊重されている。

子供たちに良い社会や環境を残そう。ちょっとくらい金がかかっても、それが大人の責務だよな? そういう気概を感じる。ドイツ。

今が尊重されている。静かにゆっくりと過ごす事に真剣なドイツ。

自分にとっての本質と思える価値が、ドイツでは尊重されていると思う。

過去から未来へと流れる大きな川の中で自分が存在しているのだと感じる。

それは自分にとって、とても「ほっ」とする事だ。生理的な安心感がある。

自分にとって日本は母国だ。

しかし、日本で生活しているとあまりに自分にとって本質とかけ離れたものが重要視されすぎている気がする。

渋谷のデパ地下に行くと、圧倒される。

溢れんばかりのの食べ物。圧倒的な選択肢。美食につぐ美食。完璧な包装。

コンビニ。すべてが揃い、完璧な品質。どんどん新しい商品が開発される。

日本は世界一の資本主義社会だと思う。アメリカの比ではない。

消費こそが最も尊いものであり、お客の権利が徹底的に尊重される。

それが日本だ。

でも、皆気づいている。

それは、おそらくもう続かない。

あまりに刹那的。「今」だけが尊重され、追求される。

自分にとってそれは、疲れる社会だ。

日本に帰国すると、しばらくは美味しいものに囲まれ、温泉に入って、ハッピーに過ごすことになる、

しかし、それらをひとしきりやってしまうと、次第にイライラを感じるようになる。

違うだろう? これじゃないだろう?

これを続けて、一体どこに向かうの?

それが自分が日本で感じる事だ。

今のところドイツは自分に合っている。

不便だが、豊かな気持ちで過ごす事が出来る国だ。

自分にとってはそれこそが最重要な価値だ。

さて、今後さらに住み続けて自分は何を感じるだろうか。

楽しみだ。



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