耳の病気で人生が変わった話
2021年、45歳の私は耳の病気をした。
その病気の症状や治療について詳しく書くと長大な話になるので、この場では書かないことにする。
そして現在2023年。私はまあまあ健康な状態で生きている。
しかし、病気以前と以後ではすっかり自分という人間が変化してしまった。
病気が自分をどう変えてしまったかという事を書き記しておきたいと思う。
一つは耳鳴りだ。
最悪な時期は100匹のセミがすぐ近くで鳴いているような音が24時間聞こえていた。それが何週間も続いた。
眠る事も出来ず、強い睡眠薬を飲んで数時間だけ寝るような生活が続いた。
さすがにこの時は耐え切れず、自分で命を絶つ事を考えた。
手のひらから砂がこぼれおちるように、生きる気力が消えて行った。
死んだら静寂が得られるだろう。静寂が欲しい。
死ぬことは本当に魅力的に思えた。
でも「治るはずだ。多くの耳鳴りは時間と共に改善する。治るはずだ」と、最後に少しだけ残っていた理性を総動員して、踏みとどまった。
そして、耳鳴りは時間の経過とともに少しづつ改善した。ゆっくりと。
しかし、「シー」という小さな音の耳鳴りは残った。
音は小さいので、普段の生活ではほとんど気にならないレベルだ。
小さすぎて聞こえない日もある。
それでも、ずっと鳴っている小さな耳鳴りが「自分はあと一歩で死ぬかもしれなかった」という気持ちを思い出させる。
「自分はもう健康な人間ではない」
「また突然セミ100匹の耳鳴りが戻ってくるかもしれない」
そういう不安感が心の底流にいつも流れている。
もう一つは人生の時間の認識だ。
ある日唐突に耳の病気になり、自分の人生はそこで終わったと思った。
難聴になり、人とのコミュニケーションが出来なくなった。
耳鳴りで何かに集中することが全く出来なくなった。
自分が将来やりたかった事。家族との未来。日々の小さな楽しみ。
それらすべてが一瞬にして消え去った実感があった。
45年間健康に生きてきて、ある日突然にそれが終わるものなのか?
そんなに簡単に?
残酷すぎないか?
しかし、良く考えてみればすべての人間が必ずその「ある日」を迎えるはずだ。その「ある日」は当然いつか自分にも来る。
そんな当たり前の事実を痛感した。
それからいろいろな事があって、必死に治療を行い、なんとか普通の生活が出来るまでに回復する事が出来たのだが、その話は今回は割愛。
回復して自分の人生を取り戻すことは出来たが、「お前が望まないその『ある日』は突然来るよ。油断するなよ。」という意識は自分の中にしっかりと残った。
人生には何の保証もないのだ。
そういう切迫感が自分の中に根付いた。
そうすると、行動が変わった。
家族と一緒にいられる時間は短いかも知れないから、一緒にいるときは必死にその時間を楽しむ。
時間が限られているから仕事にも必死にならざるを得ない。
無駄なことをやっている時間はないから、将来につながらない仕事を続ける選択肢は自分にはない。
そう考えて仕事を辞め、転職した。
そしてドイツに流れ着いた。
不思議なもので今は以前とは全く違う仕事をしているし、その内容に満足もしている。自分がそう望み、それを手に入れた。
病気にならなければ、自分は今とは全く違った人生を送っていただろう。
今も「自分に明日は無いかもしれない」と怯えながら生きている。
病気をする前は自分の人生は永遠に続くかの如く、漫然と時間を消費して生きていた。
映画「シェルタリング・スカイ」で作家のポール・ボウルズ本人が詩を朗読している印象深いシーンがある。
以前と違って今はその詩の内容がとても身に染みる。
ー・ー・ー
我々は自分がいつ死ぬかを知らない。
だから人生が無限に続くと思っている。
しかし、すべての出来事は一定の回数しか起こらないのだ。
自分の人生に大きな影響を与えたあの幼少期の午後の出来事を、あなたは死ぬ前に何度思い出すだろう?
4~5回だろうか?
もしかするとそれ以下かも知れない。
あなたは死ぬ前に何度満月を見るだろう?
20回くらいだろうか?
ひょっとするとそれ以下かも知れない。
それなのに、我々は無限の機会があると思い込んでいるのだ。
– Paul Bowles 「Sheltering Sky」
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