開業までの3か月半という空き時間で学んだ事。【episode19】
2018年の7月末。
今から2年前、
大阪の梅田と言う大都会から
徳島の小都市、鴨島へ引っ越ししました。
(今までの足跡はこちらから↓)
30年間生きた中で大阪以外で暮らすのは初めてでした。
祖母や親せきは、いたものの。
友達なんて全く0で。(数か月に一度愛媛からの親友が遊びに来てくれた事は何よりもの支えでした。その親友は今は自分で人気店のパン屋さんを愛媛でやっています。また後日、記載しますね。)
大阪のママ友や先輩方は大丈夫??と心配してくれましたが、友達よりなにより
店を出して自分の足で立ち
そして大好きな仕事をしながら、雇われの時よりも、もっと近くで子供たちと暮らしたい。祖母と暮らしたい。という想いの方が膨れ上がっていて。
本当にその想いだけで。
後先考えずに行動していました。
結局、その引っ越して3か月半後には
#焼き菓子屋そぼくな 。を開業するので、猛スピードでお店を出したように感じてくれる方も多いのですが。。
この3か月半が私にとっては、とてもとても長ーい、長ーい、道のりに感じていました。
(↑厨房を一生懸命拭く次男)
とりあえず、どんな形でもいい。
店をやりたい。
自分の足で立ちたい。
その想いがとても強かった。
けれど
だからと言って
別に空き物件があるからこの徳島に来たわけではなく。
とりあえず来てみた。(笑)
行動力あるね、と褒められたりしますが
ほんっとーーーに
後先考えていなかった、それだけです。(笑)
でも、店は必ずやる。
それは決めていた。
そうじゃなといと、
無理やり子供たちを連れだしてまで慣れしたんだ大阪から離れた意味がない。絶対やってやる。
と、
焦りに焦っって。
家の庭にある、かつて祖母の仕事部屋であり倉庫と化したプレハブを厨房にしよう!!とまた想い付きで動き始めました。(必死(笑)
もちろん、保健所の菓子製造の栄養許可が下りるようにリフォームして。
厨房道具は父の知り合い?からのお古で。最小限で対応。
冷蔵庫は大阪の時に使用していたものを。
(家の冷蔵庫は祖母のものがあったので)
次男は店が営業開始するまでは保育所に通っていなかった為
3か月半ずっと一緒にいました。
厨房ができるまでの3か月半はほんとーーーに長く感じて。
けれど育休以外でこんなにも次男と時間を共有して過ごした日々は初めてだったので今では良い思い出であり有難い出来事です。
今の時間は今しかないからね。
過ぎ去った時間は戻ってこない。
店が営業開始し、進むにつれ、次男の送り迎えさえ出来ず、晩御飯や家事全般を夫にお願いする日々になっていたので、この時にちゃんと次男との時間がとれて良かったです、ほんとうに。
Bonne journee! は良い一日を!
厨房のドアを開けた時、まず目の前に出てくるこの一面。
ネット販売がメインとなり
自分以外の人と面と向かって仕事をする事はないから
自分を律することができるのは自分だけだ。と
厨房が出来る前から思っていました。
だから、どんな時も。
自分の背中を押すために
Bonne journee! 良い一日を送るんだよ!と
開業前に記しておきたかったのです。(笑)
小さな敷地に出来た、小さなお店は。
店舗売りできるスペースも確保出来なかったので、
最初から
地元ではなく
【ネット販売で全国で勝負する】という事は決まっていました。
正確に言うと、決めてたんじゃないんです。
決まって、いたんです。
今まで足あとブログに記載したように
私は接客と言うものが菓子を焼くのと同じくらい好きなんです。
だから、
正直に話しますと
店頭売りや地元の人に向けての売り方(日々に寄り添った店)をやりたかったんですよね。
開業した前後は。
だれかの人生に寄り添いたいんです。
誰かの人生を向上したいんです。
菓子を通して。
それは今でも思っています。
けれど
最初から店舗を構える程のお金も、勇気もなかった。
とりあえず、今、自分のできる事をやる事。
そして、その理想に近づけるように努力すること。
まずは、ここから。
と、言い聞かしてネット販売を選択しました(笑)
けれど結局ね、
#焼き菓子屋そぼくな 。はネット販売の方があっていたんですよね。
作り出すお菓子の表現や表情にしても。
値段設定にしても。
そこから、どの層に届けるか?と考えた時に地元ではなかったんですよね。
やってみた結果論ですが
そぼくな。を続けたいなら地元相手の商売は厳しいな。と。
お客さんとの関わり合い方にしても。
そして
子ども達との暮らしに寄り添うためにも。
この選択がベストだったと、今は思っていますし、そぼくな。らしいな。と感じています。
ネット販売にして
焼き菓子屋そぼくな。をやったからこそ出会えた方が全国にいて。
そのお一人お一人に出会えたからこそ今の私は生きている。
それくらい、お客さんにはとても恵まれていました。
、、、と。
その話は次回にして。
話を戻しまして。
その開業前の3か月半は
今思えばあっという間だったであろうに、
本当に本当に、長い長いゆっくり過ぎる月日で。
夫は新しい職場をすぐに探して働きだし忙しそう。
長男もすぐに転校先の小学校になれて楽しそうに頑張っている。
なのに
私は、、、何をこんなにのんびり店が出来るのを待っているのだろう?
自分が決めて家族を巻き込んでここに来たのに。
朝起きて厨房がゆっくりゆっくりできて行くのを眺め。
祖母の親戚の愚痴を朝から晩まで聞かされ、
テレビに出てきそうな姑のようにご飯や子育てにケチをつけられる毎日で何しに来たんだと夜中布団に入りながら号泣する毎日(笑)
(過去のnoteを遡れば残っていると思うのですが、小さい頃から大好きだった祖母はこの頃から何だか別人のようになっていきました。これが2年後の今、そぼくな。を休業する大きな原因となってきます。)
厨房、大工さん早く作ってくれんかな。と思うばかりで(笑)
今考えたらなんて偉そうなヤツなんや。って感じですが
その当時は
厨房ができなったら私には何の価値もない。とまで思っていました。
早く店やりたい。
待ってくれているお客さんがいる。
早く。
3か月間
毎日
ずーーーーーーーーと思っていました。
その時
私に放った祖母の一言は今も忘れません
「誰もそんなん、待ってないって。」
ダイブの衝撃でしたので今も忘れません(笑)
けれど
この言葉のおかげで
頑張れたような気もします。
おかげでこれから挑戦する人が自分の近くにいたり
子ども達が挑戦するときには
絶対にこんな言葉はかけないぞ。と胸に刻ませて頂きました。(笑)
それでも
今思い返せば
厨房が出来る3か月半の間に、もっとやれる事、あったよな。
と感じています。
その当時は
厨房を待っている間にやっていた事は
Instagramの更新と
菓子の試作と
機材を買った。
それくらいで。
もちろん次男との時間も取れましたし
転校したての長男のフォローも出来ましたが
まだまだ時間を有効活用できる術はあったよな。と。
勿体ない時間の過ごし方をしてしまったよな。って
とてもとても感じる今です。
な の で。
【2年前の開業前のあの時間の空き方】
と
【休業中の厨房探しの身となった今の空き時間】
は、実はめっちゃ時間の空き方が似ていて。
同じ過ちや勿体なさを繰り返さない様に、と動いている次第です。
え、何を今やっているの?と言われましたら
このnoteの足跡ブログもそうですし、
レシピの有料記事やサークルを立ち上げたりも
そうした過去の経験を無駄にしない為にやっています。
(この行動が今後どういう結果の積み重ねをするのか?まで仮定して動いています。そこはそぼくな。の思考を書いているサークルの過去記事に記載していますので、その仮定についてはここでは省きますね)
2年前の3か月半の勿体ない時間の使い方のおかげで
店を開業してからは時間的に出来ない事もある、と気づいたのです。
空き時間がたんまりとあるからこそ出来る事ってあるんですよね。
絶対。
それがねらい目だと気づいたんです。
一般的な菓子屋がやりたくても出来ない、
その物理的なところをあえて今の休業中に出来ると。
焼き菓子を【焼き、届ける】以外の
焼き菓子屋そぼくな。の焼き菓子や、誰かの人生に寄り添えるお届け方ってあるなぁ。って。
2年前の3か月半の空き時間は
ただ嘆くだけで
焼き菓子屋そぼくな。としては、とっても無駄になってしまったなと今も思います。
けれども
だからこそ
今、似たような環境である休業中にしか出来ない、生かせる仕事を選び作り上げることが出来ているんやと思います。
【歴史はらせん状に繰り返す】と言うけれども
それは【個人の歴史上】でもこの経験を通してから
同じかも!と感じます。
繰り返すけれども
“少し上って(成長して)繰り返す”
そうなるように、行動する。
過去の決断を
過去を自分にとっての正解にするように、
あ、これ繰り返して上っていくチャンスかも!と思ったら
迷わず悩まず、自分の想いを信じて打ち込む。
これ、きっと大切。
2年前の【3か月半の空き時間】を
今。振り返ってみ居て感じる事です。
全ての出来事は人生にとって無駄ではない。
絶対。
読んでくれてありがとう!
次回は店を開業したその瞬間の絶望について記載したいと思います(笑)
焼き菓子屋 そぼくな。
ゆ季
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