日記ってなんだ
意味のある日記ってなんだろう。意味のある文章ってなんだろう。僕は普段変わりばえのない生活を送っている。だから、ただ単に行動だけを記録したら、書くことはそんなにない。可能な限りルーティーンで動いていたいから、むしろ書くことを減らすようなムーブをかましている。僕にとっての日記をもう一度再構築する必要がありそうだ。文章を書く意味も。
文章を書く理由のひとつに記録して安心したいという気持ちがある。心理的には写真をとることと同じ。記録して、たとえ見返すことがなくとも見返せる状態にしておくことが僕の心理的安心につながると思っている。だけど、じゃあなんでも頭ごなしに記録すればいいという話でもないだろうね。だって、何時何分にトイレした、とか心底どうでもいいもん。どうでもいいし、そういう細かい部分まで記録していたらキリがない。
僕にとって何が大事なんだろう。僕は、覚えておきたいことを覚えておきたいのよ。書く意味があるものを、書いていたい。今書いている文章はなんだ?日記かと言われたら、日記だ。これは、昨日の頭の中。まあ思考しているのはいまだから、厳密には昨日の頭の中ではないんだけど。昨日頭をよぎったテーマというのが正しいか。その日によぎったテーマを記録している。思考は今している。少なくとも、この文章に意味を感じるし、執筆行為にも意味を感じる。僕にとって、文章は記録と同時に思考する場でもあってほしいからだ。
じゃあその日の大事なテーマだけを取り出したら、それでいいのかな。わからない。味のしないガムみたいな文章は書きたくない。機能だけを取り出したような文章は、それもまたつまらない。文章には温度があってほしい。人間らしい手触りを感じたいし、僕が書く文章からもそういうものを出したい。なぜ文章の書き方を転々と変えているのか、その意味を考え直したい。それは満たされないものがあったからだ。何かを選ぶたび、何かを捨てているからだ。それがトレードオフの関係なら、きっぱりと諦めきれるだろうけどそうじゃないと思っているから迷いがでるんだ。あるテーマを描きながら、大事なことを記録しながら、手触りのある文章を書く。それが可能と思っているから右往左往してるんじゃないか。
どうやったらいいんだろう。たとえば、その日の思考に関連する事象であれば、文章の中に取り上げるのは簡単だ。子供とぶつかりそうになって、それを機に思ったことをテーマとして取り上げるのであれば、その日の事象をとりあげるのは自然な流れだろう。だけど、思考と事象が断絶している場合だってある。お風呂に浸かっているときの考え事は、風呂に浸かっている行為と全く関係がなかったりする。お湯の熱さや、心地よさとは全然関係のないことを考えて、そしてその瞬間に大事なことに気づいたりする。あるいは散歩中、あるいはご飯中。その都度その都度、なにか考えを書くたびにそのとき行っている行為について、別に関連性もないのに書くのはちょっと違和感。読み物としても読みづらい気がする。
日記についてはもう少し考えていく必要がありそうだ。他の人の文章にも色々と触れる必要がありそう。まああんまり考えすぎず、気軽にやっていこう。
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