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令和哲学カフェ(令和3年8月30日)の感想
昨日開催されたオンラインカフェ「令和哲学カフェ」で気付いたこと感じたことを書きます。(カフェの内容については書いていませんので、脈絡は分からないかもしれません。)
<プレゼンテーション>
色々と工夫されていて、とても分かりやすかったです。 令和哲学カフェで涙した人の内の一人である、ぬくちゃん(^_^)だからこそ、共感できる繊細な涙があるのかなと思いました。 ルソーの涙についても、聞いてみたいです。
<お題「ルソーの『自然に帰れ』という言葉があるが、自然とは一体何なのか?」>
まず私が考えたのは、ルソーは、キリスト教で言われている概念(神>人間>自然)で自然を捉えていたのではないかということでした。 だとすると、ルソーは、農耕が発達する以前の小さなコミュニティの社会(日本でいうと、縄文時代)をイメージしていたのかなと思いました。
出演者の皆さんのディスカッションを聴きながら、スマホでカンニング(^^;して、自然という言葉の由来を調べてみたら、日本では西洋のように人間と自然を分けることは元々なく、中国の老子の「無為自然」に由来しているとありました。 だとすると、「人工」が自然と対立する言葉であり、人工=人が作ったもの=人が為したもの=体人間の観点が作り出した認識の結果物、と解析できて、令和哲学と繋がると思いました。
ノさんのまとめの「違いがあるからといって、植物や動物は悩まない」を聞いてナルホド!でした。 大脳を発達させた人間だけが、この体が自分だと認識して、自分と他者を分けているわけですもんね。 ということは「無為自然」に帰らない限り、格差の問題も自然破壊の問題も解決しないわけですね。
<質問コーナー>
人間が善だったら、善しか見えない。という回答を聴いて、ナルホド、善悪の価値判断も無く、全てはリテラシーなんだなと理解できました。
革命と維新の違いとは?の質問で、ノさんの令和維新ののイメージが深まって、とても良かったです。
令和哲学カフェは、平日ほぼ毎晩21時〜22時半まで、参加費無料!で楽しく開催されています。興味を持たれた方は、ZoomでもYouTube(視聴のみ)でも参加できますので、是非参加してみてください。
↓
参加申込フォーム
https://pro.form-mailer.jp/fms/25c7ebfc235039
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
明日も令和哲学カフェの感想を掲載する予定です。
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