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続 あれから4年、《小田和正・今度こそ、君と!!》
旅するスーパースター、蕎麦宗です。
さてと続き。
会場は有明アリーナ。チケットの受け渡し場所に選んだバス停で待ち合わせて、ひとみの知人のKさんと合流した。
Kさんはオフコース時代からの小田和正ファンとのことで、僕が知っている程度のことは全てがツーカーに伝わった。そんな会話をしながらアリーナ席へと向かう。お馴染み《花道》のすぐそば。観客との距離を縮めたい、という思いからの計らいが《花道》で、小田流。そこから見上げた会場の高く遠くの観客席も超満員。しかもここにいる13000ほどの人々は、付き合いや義理で来てる人はいない。皆、この日を待ちに待った生粋の大ファン達である。
かつてよりの憧れの存在ではあっても、今の僕は小田和正ファンではない。そして、4年ぶりとはいえ2回目だからか、前回の後半と同様に冷静にコンサートを観た。若い子も年輩の方も、恋するそぶりで立ち上がる。女性だけでない、以前にもまして年配男性が増えてるのはKさんも同様に指摘した。一線を退いた男性陣にとって、いまだ一線級の現役に立つスーパースターは、やはり憧れなのだろう。
そんな小田さんが歌う姿を見て真っ先に浮かんだのは
《続ける》
という事。サッカーで言えばキング・カズこと三浦和良も56歳にしていまだに現役。若かりし頃のトップパフォーマンスにこそ届かずとも、あの年齢で、ましてやプロとしてサッカーを続けていることこそ奇跡。同様に小田さんのハイトーンボイスは健在で、こちらは御年76歳(2023.9月)。どれだけのトレーニングを積み重ねているのか?!驚きしかないし、やはり鉄人。
セットリストは他者に譲るとして、8年ぶりのオリジナルアルバムの楽曲に加え、『♫言葉にできない(1981)』など、オフコース時代とソロになってからの名曲のオンパレード。キャリア50年を越えて尚、圧巻のステージ。
その初期の『♫愛の唄(1975)』は、学生時代に淡い恋心と共に聴いた記憶があるので、《あなたに会えた事 それだけでいい》ノスタルジックな感傷を思い出した。
歌は記憶に寄り添うもの、と前にも言った。隣の中年男性は、ずっと瞼を拭っていた。きっと失くした何かを想うのだろう。でも僕は前回と異なり、涙とは無縁だった。【哀しみよ、さよなら】に書いた通りで、『♫こんど、君と(2022)』の『想う人がいる 想ってくれる人がいる 小さな幸せが支えてくれる》ことに包まれているから。
また、いかにしたらこの眼の前にいる超級のスーパースターのようになれるのだろう、と思い巡らせていたゆえ。
ふと、
《多くの過ちを僕もしたように 愛するこの国も戻れない もう戻れない》
と『♫生まれくる子供たちのために(1980)』を歌う時、小田さんは何を想うのだろうと考えた。
なぜなら、向かう電車やバスの中も、この会場も相変わらず全員がマスクをしている。このマスクに象徴される、国や同調圧力から求められたコロナ禍の対応のほとんどは、過ちではなかったのか。子供や若者が《活き活きと生きる『今』》を、老いた者が《病まない・死なない『明日』》のために犠牲にしたことは、間違いだったのではないか。未だ、その総括は一度もされぬまま、うやむやになった。
かつて、戦争や公害問題に対して懲りずに過ぎれば喉元忘れるこの国を憂いて歌ったのがこの名曲で、10年間鳴かず飛ばずのオフコースをスターダムに押し上げた『♫さよなら(1980)』に続いてリリースされた曲。そんな、さりげないロックな精神が好きだ。
それでも、マスク着用によって許された声出しや一緒に歌う事を、小田さんは喜んでいたのだと思う。時折り自身で歌うのを止め会場の声に耳を傾けて、感慨深く微笑んでいた様子を垣間見た。
アーティストにとっても、あの3年間は辛い日々だったはず。ようやく乗り越えた《今》を受け入れ、皆に《楽しんでもらう》事を優先したのだと思った。
やがて照明が落ちて、ファンにはお馴染みの《ご当地紀行》。コンサート会場の近辺を、小田和正がそぞろ歩いて紹介する趣向の映像を挟んで後半へ。リスタートの曲は『♫the flag』。そう、僕が、ラジオで紹介した一曲だ。Kさんにも伝えてあったので、
『あの時、あっ!って思いましたよ』
と、言って頂いた。なんだか、とっても自分が誇らしかった。
この『♫the flag(2000)』は、小田さん自身が人生の折り返し地点を過ぎた時、若かりし頃の熱い心を再び思い出して動きだそうぜ!と、同世代への応援歌として歌ったもの。いま、僕もそんな年齢になった。
僕が【レイラインツアー2023】を通じて、世の中に伝えたかった
老いや死に対する不安への配慮は忘れてはならないが、それ以上に若き生命のみなぎる活動を優先させよう。塞ふさぎ込んでひと所に留まるのではなく、動いて互いに関わり合って集い、大きなエネルギーの循環を作ろう。失敗を恐れずに、新たな挑戦や冒険を讃えよう。
というメッセージを乗せるのに『♫the flag』はぴったりな曲だと選んだ。
さて、学生時代のバイトで新横浜プリンスホテルや横浜アリーナにて、沢山のアーティストのコンサートに触れた事がある。それと比べて思うに小田和正ファンは品行方正な方々。おそらく生真面目さゆえに求める結果のハードルが上り、達成出来ずに居たり自己肯定感を高められず、自身を責めてしまったこともあるだろう。小田さんもストイックに作品に向き合う中、取り巻く人や社会ともぶつかって己を責めたと、かつて話していた。そんな彼が、
『僕は決してポジティブな人間ではありませんでした。でも、いい事も沢山あった。皆さんにもきっといい事あるから。応援してますよ』
と語ったひと時に、この日一番の歓声が上がった気がした。誰かが、
《長生きしてくださいね!》
と書いた応援プラカードに、
『リアルにそういう歳になりました』
と苦笑って応えていた小田さん。
その様子に、一流のアーティストであると同時に一個の《人間》が立ち現れた。そう、彼ももう若くない。一人の老人なのだ。それでも声が出る限り歌い続ける事だろう。命ある限りステージに立ち続けるのだろう。
皆が見ていたいのは、その姿。と、思った。あるがままにそこに生きる一人の人間【小田和正】の、一挙手一挙足を感じていたいのがファンなのだ。それは、自身が生きる勇気を、彼を応援することに重ねている。そのファンの方々一人一人もまた、この世知辛い世界の中で一生懸命に生きている。
きっと《あるがままに生きる》ことが、応援してくれる人達を幸せにする。皆んなも《あるがままに生きられる》ようにするために、僕は何を伝え、何をしたら良いのだろう。帰り道のゆりかもめと新幹線に揺られる帰り道、ずっとそのことを想っていた。
出た答えは一つ、《続ける》こと。
ここまで続けて来たことを続けよう。それはたとえば自転車・蕎麦打ち・トレイル整備や米作りなどの里山整備活動、そしてこのnoteで始めた文章しかり。
それと、愛すべき人が誉め称えてくれた《声》を活かしたことを新しく始めよう、と浮かんだ。それは、ひょっとするとラジオで語る事や歌う事かもしれない。いずれにせよ、齢を重ねても続けて行ける事をやろう。
まだ未知だから、どうなるのかは分からないけれど、20年・30年と続けていった先に、きっと《あるがままの自分》と、それを大切にせんとする人達が一体となった居場所が出来上がっているはずだ。
あれから4年。当時に掲げた枕詞の【目指せスーパースター】は、【旅するスーパースター】となって僕の人生を鼓舞してくれている。でも、それは目標ではない。皆んなが楽しい日々を過ごせるように、あるがままに生きて行けるために…。そのための手段として、まだ手は届かないでもすぐそこにある。
さて、ガンバラナシませう。
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