ヘビとメジロとブッダの哀れみ
旅するスーパースター、蕎麦宗です。
CLUB SOBASOの田植えを終え、畑仕事と雑用のために取った久しぶりの連休。ツナギ姿に着替えて、田植えの補修をやろうと出掛けんとした朝の出来事。
けたたましい小鳥の鳴き声が、庭のハナミズキから湧き上がった。その鳴き方が、あまりに尋常じゃないので何事かと外へ出て見上げると、幹から枝へとヘビ(ヤマカガシ)がウネウネと登って行くではないか。青々としたその枝葉の周りを2羽のメジロが飛び跳ねる。ヘビはペロリと舌を出しながら、梢へとゆっくりと進みゆく。
おそらく巣があり雛鳥がいるのだろう。あの普通でない鳴き声は警戒音で、我が子を守らんとする悲痛な叫び声でもある。
僕は思わず周囲を見渡し、ヘビを引きずり下ろすための棒を探した。ちょうど近くに竹ぼうきを見つけて掴んだその時、ふと、思いとどまってそれをやめた。最初に浮かんだのは雛鳥が食われたら
『カワイソウニ』
という、メジロへの同情。しかし、すぐ次に浮かんだのは、
『ハラペコダヨナ』
というヘビへの同情。これを逃したらヘビは喰いっぱぐれて、ひょっとしたら飢え死にしてしまうかも知れない、とも思ったのだった。
それで、目の前で起きている《鳥》と《蛇》とのやり取りを静かに見守る事にした。
込み上げる感情をあえて無にして眺めたのならば、《喰う》・《喰われる》という捕食行動、要は自然の摂理でしかない。人の同情は、基本的に弱者に向かうので、ほとんどの方はメジロの雛を庇う。ヘビを応援しようものならば、強者の論理だと片付けられるだろう。いずれにせよ、気持ちはざわめくのが当然で、何も思わない人は少なかろう。
どちらに対してもざわめかない、つまり感情が無いのがサイコパスで、政治家や弁護士に多いとされているけれど、それこそ蛇足になるからやめておく。
ヘビとメジロ。どちらに対しての同情が優しさなのかは僕は知らない。とはいえ、やはり人間。心のひだは無くしたくないものだ。それでも、この地球上の至る所で、食う食われるの関係=殺生はある。現代人はそれを視えなくしているだけで、『生きるために殺している』。
それを哀れと嘆いたのが仏陀。その初期仏教を準えて、偉そうにふんぞりかえる*ヴィーガンだって、野菜という名の植物を殺して生きている。
…しばらく経って、メジロの警戒音は消えた。ハナミズキから移ったウメの古木に、つがいは静かに跳ねている。木々の緑の向こうには、梅雨の合間の空が青い。
結末はどうなったのだろう。気になっていたら、駐車場のコンクリートに置いた鋤鍬の上に、ちょこんとメジロの雛が座っていた。
『助かったんだね』
僕は梢の巣から落ちたであろう《そいつ》を、ヒョイと掬って庭へと移した。地面では、またヘビに狙われるかもしれない。けれども、それはそれで仕方ない。とはいえ健気な産毛のつぶらな瞳を、そのまま素通り出来ない判官びいき。たぶん、刹那くやるせない《人の性》なのかもしれない。
さて、ガンバラナシませう。
*ヴィーガン…ベジタリアンの中で最も厳格な戒律のもとに暮らす人々。
読んでくれてありがとう。少しはお役に立てたかな⁉︎。聞きたいことあったら、ぜひ質問くださいな。もし楽しい気持ちになれたなら、ほんの少しだけ応援ヨロシクです。