【7.出雲大社(島根県)〜レイラインツアー2024
雨の皆生温泉スタート
昨日の夕方から降り始めた雨は、朝になっても止まず、皆生温泉の街を濡らしていた。レイラインツアー2024をスタートさせた9月16日、千葉県の東浪見駅へ降り立った際の、洗礼とも言える局地的な土砂降りは、龍神の歓迎として受け取った。その時の一週間先の天気予報では出雲地方は雨。それからここまで走ってきた6日間は好天に恵まれ、昨日の到着時を除けば雨に打たれることはなかった。
しかし、よりによって最終日が雨。鳥取県米子市だけでなく、ゴールの島根県出雲市も雨模様のようで、予報では夕方も曇りとある。
『ま、儀式の時は晴れるよ』
と、目の前の屋根を叩く強い雨をよそに、僕はなんの根拠もないが晴れることしか頭にはなかった。
『なんだかドラマみたいな展開ですねー。出雲で急に晴れちゃうとか?!あと少しがんばれー』
と、クラファンメンバーの栗原あゆみさんから声援が入る。その通り、稲佐の浜の儀式の時は晴れているに違いない。そうとしか思えなかった。
今日は距離と時間に余裕があるので、チェックアウトギリギリまでホテルで雨宿り。しばらく待つことにした。
昨日から停めてあったオートバイのチームは早々に出掛けて行ったようで、駐輪場はもぬけの殻。僕も手塚も二輪にも乗る。それこそデイトナ製品をはじめ快適装備が充実している分、オートバイの方が雨天でも快適だとは思う。が、スリップなどのリスクを思えば、わざわざ乗りたくはない。
それにしても止まない。途中で降られるのならまだしも、雨の中に出掛けて行くのはなんとも億劫だ。
『これくらいの小雨だったらしゃーないな、ボチボチ出かけるとするか』
ここ数日までの猛暑からしたら、ヒンヤリと冷たく感じる雨粒に打たれながら、分厚い曇天に霞む松林の向こうへと発進した。
大根島と松江城下
皆生温泉から境港にかけて連なる弓ヶ浜も、天橋立と同様に砂嘴で出来上がった平地だ。とはいえ幅も相当広く、米子鬼太郎空港の滑走路や住宅街にもなっているので、砂地の畑と松林を注視しなければそうとは気付かない。トラックの多い国道431を避け、碁盤の目のように張り巡らされた道達の中から、適当に選んで走ったルートは大正解でスムーズ。
空港を過ぎて県道47号、338号と進めば江島大橋。通称ベタ踏み坂で知られる巨大なコンクリート製の橋梁は、中海を航行する船舶を避けるために建造された道路だ。5%の橋にしては急な坂道をのんびりと登って頂点に着くと、そこはまるで展望台のよう。三保半島から境港を見渡して皆生温泉や米子も見える。晴れていれば、遠く伯耆大山の流麗な山体も望めることだろう。
進む先に見えるのは大根島で、中海に浮かぶそれは盾上火山の島。ここが鳥取県との境で、スタートした千葉県から一都一府十県の最後、島根県へと入る。朝鮮人参や牡丹の産地として知られる、赤い石州瓦の民家群に彩られたこの島は本当に美しい。かつて移住も考えたほどだ。季節を変えて三度訪れて、春先の積雪に断念した経験がある。寒いのだけは耐えられない。
その島を過ぎると松江市に入る。現存天守を抱える12名城の内の一つで、中海と宍道湖をつなぐ大橋川の中洲に造られた城下町は、今は県庁所在地になっている。そちこちに張り巡らされたお堀と水路が麗しく、古都の情緒を今に伝える。
一つ心残りだったのは昼食のウナギ。大根島の入り口にあった鰻屋から漏れてきた下焼きする鰻の匂いに、
『今日で最後だ!昼メシも奮発してウナギ喰らおうぜ!』
と二人で盛り上がって松江で食べようとなった。しかし定休日だったり売り切れだったりで、振られること6軒。結局はありつけなかった。
仕方なく、見かけたカレー屋で昼食。この一週間食べてないので、スパイスの香りも新鮮に感じたが、なにせ脳内は鰻重で占領されている。残念。
宍道湖畔と雲州平田を行く
だが、幸いにもこの辺りから完全に雨は止んで、薄っすらとした曇り空になった。宍道湖畔をひた走る国道431号は左手にずっと湖を眺めながら進む道。並行するバタデンこと一畑電車は《千と千尋の神隠し》で海の上を電車が走るあの名シーンのモデルとなった。ここから出雲大社までは38km。この宍道湖の果ての平野の向こうにゴールはある。
この日は東の風。つまり追い風も手伝ってスピードは上がる。信号も渋滞もなく、路面もきれい。小気味よく短いアップダウンもあるので、スピード狂の自分はついつい踏みたくなった。今日で果てたとて明日はもう走る必要はない。ヘロヘロに疲れ切った身体をアドレナリンで鞭打つて走るのだから、大してスピードは上がらない。それでもローテーションしながらの40km/hオーバーの巡航は楽しかった。
やがて湖畔も終わり、雲州平田の街が見える頃は残り距離14km。ゆっくり走っても、もう1時間と掛からない。
『ああ、もう残りわずかだな、スピード落としてゆっくりと味わうか』
このくらいになると、完走を果たせる充足感よりも、そろそろ旅が終わってしまうという惜別や哀愁の想いの方が強くなる。旅はいつも、終盤にかけて楽しくなってくるもの。このままいつまでも旅を続けていたいと願うのだ。
若かりし頃はいざ知らず、不惑や五十路を過ぎた時期は人生の折り返し。人生を旅に準えるとしたら、これからの終盤はもっと楽しくなってゆくのだろう。そこへ、
昨日のユウコさんからのヒカリからのメッセージが、再び脳裏を横切る。これまでの出会いや出来事や経験や体験を、このレイラインツアーのここまでの旅路に重ねて、*ポタリングに切り替えた2人のトレインは、ゆっくりと田舎道を進んだ。
*ポタリング…自転車を使った散歩
お迎えと出雲大社
残りわずかな道のりを味わうためにも、ゆったりゆっくりとサドルの上で過ごしたくなるのが自転車乗りの性。この一週間に恋しくなった一つがコーヒーで
『コンビニとかじゃなくて、ちゃんとした美味いコーヒーが飲みたいよな』
と、ちょうどよく雲州平田にカフェを見つけて立ち寄った。レーサージャージの格好では雰囲気を壊して他のお客さんにすまないので、外の待合椅子で呑んでいると、店主が声を掛けてくれた。
『どこからいらしたんですか?』
『千葉県の上総一宮から…』
こういう時の、相手の点になった眼を見るのは実に愉快だ。
店から発つ時に手塚のチェーン落ちトラブルがあったが、なに、時間に余裕がある。相変わらずにのんびりと走っていたら、すれ違った対向車から僕の名を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ったら、そのクルマがUターンしているのが見える。
『あれはアキラさん達じゃないかな』
成瀬アキラさんは、《口貸し》こと成瀬ユウコさんの旦那さんで、出雲在住の彼ら夫妻が愛守花さん達を乗せて出迎えにきてくれたのだった。
気がついた僕等は『逃げようっ』とペダルを踏み込んでスピードを上げた。追い風に乗って50km/h近い速度で駆けた。やがて追いついたクルマの窓が開き、声が聞こえる。
『宗ちゃん!宗ちゃん!ヤバ!速っ!オカシクない?!なんなのこの人達〜』
小型車に狭狭と乗った5人が、興奮しつつ大笑いしながら喜んでいる。一瞬の逃げで疲れ果てた僕は落ちてゆき、手塚はスリップストリームにしがみついてクルマの真後ろに貼り付いた。
そこからちょいと寄り道をして、県道161号廻りで出雲大社の参道を目指す。巨大な宇迦橋大鳥居が現れ、店が立ち並ぶ神門通りを行く。緩やかな坂道の上には一ノ鳥居が見え、参拝客と大社へと向かう車列の合間を縫って上らんとした。ガシャンとシフトチェンジをすると、すぐ目の前で変わる信号。あらら、目の前で到着はお預け。やがて歩行者信号が変わる。僕等は自転車を押して鳥居の正面に立った。レイラインツアー2024年のゴール地点へと辿り着いた。
駐輪場へと自転車を置き、ごった返す参拝客の人並みをかき分けて拝殿へ本殿へと進む。
『お疲れ様でした』
と無事の到着と完走を祝うLINEが、クラファンメンバーの三浦尋一さんをはじめ皆んなから届いた。そこへ、鈴木小夜子さんが応援に駆けつけてくれた。用事があるので山口県の宇部までクルマで往復10時間のトンボ帰りだという。生憎のすれ違いでゴールシーンは見れなかったらしく、危うく会えず仕舞いにならないだけ良かった、と喜んでいた。
疲れは勿論ある。なので、この大きな出雲大社の全てを参拝するのは明日にして、儀式を執り行う稲佐の浜へと自転車を移動させた。
ふと、見上げた空は、もうすっかり青く美しく晴れていた。
稲佐の浜の儀式
神有祭の日、日本中から集まった神々が降り立つとされている浜辺がこの稲佐の浜。
ちょうど一年半前、2023年の春分の日に、この場所をスタートしてレイラインツアーは始まった。1120kmを走った往路は、コロナ禍の鬱屈した世情の中でもあり、全くの未知なる挑戦ゆえに苦難の多い旅だった。満身創痍でたどり着いた玉前神社。そして奇跡的に晴れた千葉・東浪見海岸で、そこまで集めた1+7×7セット=56体のお札を、春分の朝陽に掲げるという儀式を執り行った。そこにレイラインが再現された瞬間だった。
あの日、あの場所で宣言した通りに、今回は復路にチャレンジ。対になる二つが循環を作り出し、大きなエネルギーを産むという神道の思想を体現すべく再び走った。この復路の距離1080kmを、平穏無事な社会の中で、存分に楽しんで走破した。もちろん大変だった日はあるけれど、楽勝だったとも言える。
この感想は決して強がりではなく本心だ。それは前回の挑戦による経験と、今回もまた応援してくれた皆んなのおかげ。この場を借りて、心からありがとう。
そして今、稲佐の浜で、ここまで集めた1+7×7セット=56体のお札を2024年の秋分の夕陽に掲げる。一週間前も、今朝にも僕が信じたように、すっかり晴れた西の空からは眩い夕陽の光が差し込んでいる。前回は偶然が産んだ奇跡だと思った。今回は違う。奇跡には変わりないが、なるべくしてなった必然。そう想えるようになったのは、あの日から今日まで流れた一年半の《時》と、たくさんの出会い、つまり《人》のおかげだと思う。
2024年9月22日の秋分の日。僕は背負って走ってきたお札達の入ったリュックを、西の果てに沈む夕陽に向かって高々と掲げる。そして18:05静かに儀式を終えた。
この瞬間、レイラインツアーが完結した。
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