蕎麦宗店主の自転車クロニクル × サッカーはやめてしまったけれど その16【高崎とトライアスロン部】

　1993年のこと。3限が休講になったのを知ってのんびりと昼飯でも食べようかと、何人かのクラスメイトと一緒に*一食へと向かった。その中の一人に高崎芳史もいた。
　彼はテニスプレーヤーとしても一級品だったが、1年生の途中で体育会テニス部を辞め、自身の活動拠点としてトライアスロンサークルを立ち上げた同級生で、のちに会社勤めの社会人にしてハワイのアイアンマンレースや済州島のレースにも出場しているトライアスリートだ。

『ヨッちゃん(高崎)この後どうするの？』

『時間できたから芦ノ湖まで走ってこようと思ってる。往復180km位だから練習にちょうどいいんだよね』

　自分も実家まで箱根を越えて何度も走っているので、道も距離の感覚も理解っている。簡単な事ではない。それを思いついたようにサラッと言ってパッとこなしてしまうこの男を、食堂のテーブル越しに尊敬の眼差しで見つめていた。

　その頃の僕はバレーボール部と並行してサッカーのできる環境を探していた。中途退部して他種目を経験する事も、社会体育(クラブシステム)の進歩的な国ドイツへの留学も考えていた。趣味で走るMTBのレース参戦もしてサークルでも立ち上げようかとも思っていた。
　けれどいつも頭の中で色々と熟考を重ねるだけで、挙げ句の果てにちっとも動き出せない。そんな僕とは異なり高崎は自分を信じて動き出す。

　目標とする*アイアンマンレースへの出場のため同好会を作り、仲間を募り、実績を積み上げた結果として4年生の時には*インカレ団体戦にてトップ10入りし、それら10校が集まる対抗戦に国立大として唯一出場。そして卒業ののちになるが、晴れて横浜国立大学トライアスロン部として正式に大学にも認められている。
　その行動力とストイックさは自分にないものゆえに、僕は彼に憧れていたし、大学の同級生や先輩・後輩の中で最も尊敬する存在だ。

　その高崎がトレーニングで江ノ島へ行くというのでついて行った事がある。人生初の*トレインを組み、ロードバイクの彼の後ろについてMTBリッチーに跨って一緒に走ったあのひとときは、苦しいながらも本当に楽しかった。片道で45kmは彼には物足りないようで、『もう少し走ってくる』というので江ノ島で別れて、帰りはトボトボと一人横浜まで帰ってきたと記憶している。

　…時代は下り2005年。オープンした年の蕎麦宗にその高崎が現れた。聞けば所沢から箱根を越えロードバイクで走ってきたという。

『トレーニングにちょうどいいよね、120kmくらいでしょ。』

というと

『サラッとそれが分かってもらえるのっていいよね』

と高崎。

　その頃の僕はたいして自転車には乗っていなかったものの、感覚だけは残っていた。勤め先の新宿から25kmをランニングして所沢まで帰宅するという話は簡単には頷けなかったけれど。
　そうまでしてでもトレーニング時間を捻出する彼の相変わらずのストイックぶりには敬服するしかない。今日もこのあと焼津まで80kmを走るという。

『いつかまた、一緒に走りたいね』

と話して道中の安全を祈りながら、その日は見送った。

　…そして2018年。トライアスロンの合宿で伊豆に来たという大学生達が蕎麦宗に来てくれた。話している内に横浜国大のトライアスロン部だと分かった。僕は前のめりに

『それを立ち上げたのは自分の同級生なんだ』

と、いつも店の引き出しに大事にしまってある新聞記事を見せた。
　たまたま読売新聞で見つけて、切り抜いて取っておいたものだ。後輩達は随分と喜んでくれて、僕は自分のことのように嬉しく鼻高々だった。

2008年5月11日の読売新聞

　…2020年。江ノ島まで一緒に走ったあの日からから27年。トライアスロンから引退して山男になっていた彼が、久しぶりに自転車に乗って*ビワイチの200kmをこなしたと聞いた。できる事ならばまた高崎とトレインを組んで一緒に走りたい。
　ずいぶんと長い期間温めていた想いが叶う日も近い、そう感じさせれくれる風が、今、彼の住む大阪から吹いてきた。つづく

*一食…1992年〜1996年当時の横浜国立大学には出来たばかりのビュッフェと古めかしい第一学生食堂(俗称一食)があり、貧乏学生はこちらの冷めた飯を食べていた。
*インカレ…大学生における全国大会
*アイアンマン…スイム3.8km・バイク180km・ラン42.195kmをこなすトライアスロンの花形。当時はこれをトライアスロンと呼び、オリンピックディスタンスのような短距離種目はなかった。
*トレイン…自転車で連なって走ること。空気抵抗が減り単独よりも楽に走れる。
*ビワイチ…琵琶湖一周サイクリング

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