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俺の好きにさせろ!〜庭木を巡る父子の争い

 早や11月。ようやく暑さも和らいで、朝晩は秋めいて来た。蕎麦宗を閉店してレイラインツアーから帰って来た後も、まだまだ真夏のような暑さだったので、手を付けられずにいた店の前庭の木々達。ようやくいで運び、自宅の庭へと植え替えた。

 蕎麦宗に取って代わってあの場所はNAVIGAZIONEナビガチオーネとなった。経営者のユウスケ(弟)としては、蕎麦宗の庭は手が係り過ぎるのと、店の雰囲気もあって前庭を縮小するけれど、幾つかの観葉植物を置きたいようだ。しばらくはプランターで試して上手くいけば地植えにする予定。《街に緑を》という想いは継いでくれたようで嬉しい限り。

 さて、その蕎麦宗の庭木達のうち残したのは10種類。全て根こそぎ抜いて処分したものもある。20年間、店と街に彩りと潤いを与えてくれたことに、『ありがとう』と声を掛けながらこの場所に別れを告げよう。
 クルマで運んで帰宅。ちょうど良い、夜から雨予報だから、夕方のうちに仮の植え溜めに一時避難しよう。根が育ったら、目欲しい場所へと年内に植え替えるつもりだ。

 しかしながら父と息子は一悶着。庭好きの父親からすれば、自分の好みではない木々がやたらめったら植え込まれるのはゴメンだろう。ガーデニングは人それぞれの好みがあるから難しい。そして、日本の気候は驚くほどに世界各国の植物を迎え入れる寛容さを持っている。溢れかえる種類を散らからないようにデザインするのは難しい。
 だからこそ、ここはランドスケープアーティストとしての腕の見せ所。自身のプランを披露するものの、父親も譲らない。そう、歳を重ねると人は頑固者になって行くのだ。
 言い争いのスッタモンダの挙句、父親が折れてくれた。庭木の管理はこれから子世代がやらざるを得なくなる。が、親からすれば自分が建てた家屋敷だから、自分の自由にしたいのは当然だろう。しかしながら、老いては子に従えという格言もある。
 それにしても、おおかたの家庭でもままあるこれらは、色々な問題を放置する原因になっているかと思われる。親(団塊の)世代と子(団塊ジュニア)世代との世代間格差を感じている方々には、大いに伝わることだろう。
 何も庭だけではない。インテリアや食事・掃除やゴミ処理…etc全てにおいて、生活のスタイルが激変した時代が、その二つの世代の狭間にあったのだから致し方ない。

 昭和以前的な価値観で言えば、家督は継ぐものだった。その意味で言えば、この家屋敷は子である僕ら兄弟のモノでもある。完全に家が《個人の所有物》になったのは家制度が崩壊した戦後から。今は核家族すら壊れて単身・個々人になっているのは、平成・令和になってからの話。

 さて、どうやって解決しよう。僕は家族や家庭の中にも、《公的=パブリック》と『個人的=プライベート》とを創るのが良いと思う。マイルームは完全なるプライベートとしても、共用するダイニングや風呂あるいは庭といったものは、家族というパブリックなモノとして、維持管理は協力したり時には論議や妥協も必要かもしれないけれど、皆で創り上げるモノにする。さていかがだろう。

 暇になったおかげで、今まで目を向けなかったことに向き合う結果となった。たかだか庭木の引っ越しが、そんな気付きを運んでくれたようだ。

 さて、ガンバラナシませう。

以前の蕎麦宗の木々
すっかり片付いた店の前庭


自宅の庭に移った木々

#親子喧嘩 #父親 #母親 #世代間の揉め事 #家族

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山川宗一郎
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