どんどん焼き
目指せスーパースター。蕎麦宗です。
冬になると夕刻の西の空がキレイで、ついつい見入ってしまう。昨日の夕焼けも炎(ほむろ)のように美しく、冷たい田んぼの上に立つ《どんど焼き》の竹組越しに眺めていた。
ひと頃と違ってお飾りも少なく、いつもだったらてっぺんに飾られる大きなダルマの代わりに手の平サイズの可愛いダルマがぽつねんと吊るされていた。伊豆韮山のこの辺りは毎年成人の日と決まっていて、何処そこの集落がついた、そろそろうちらも、と一番緊張しつつも楽しみなのが火付けの瞬間。朝6:00を迎える頃になると、真っ暗闇の平野のそこかしこで火柱が上がるのが順繰りに見えた。
人類が人類たる理由は《火》のコントロールにあって、太古より焚き火の小さな火や焼畑農業での大きな炎と接して来た。《燃える》という興奮が本能を呼び起こすために、火遊びやひいては放火などを引き起こすのだと、何時ぞや文化人類学に詳しいお客さんから聞いた事がある。そして、その感情を理性の支配下に置いた形で執り行うのがどんどん焼きで、いわば日々のストレスのはけ口として、やたらに火を放つ事がないように祭りとしたのだろう。
今年も家の目の前の田んぼで燃え盛る炎が立ち上がった。
ドンパチ、ドドンパチン
音で目覚めてカーテンを開け少し見入る。でも、直ぐに布団の中へ戻る。だって寒いもの。大切にしたい、いつまで続いて欲しい風習ではあるけれど、ぬくぬくの寝床には敵わない。
では、ガンバラナシませう。
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