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死について語る①

目指せスーパースター。蕎麦宗です。

 昨日書いた【震災と予知夢】の中に自分の死生観を書いた。それはどうしてそうなったのか?!という事を書こうと思った。明るく楽しい話ではない。まぁ、たまにはいいか、お許し下さい。

 10代のはじめ、サッカー少年団の仲間が脳腫瘍で死んだ。中学に上がってそんなに経ってなかった。わずか13年の命。

 20代の前半、親しい同級生が3人死んだ。病、労災事故、自死。その内一人は少年サッカー時代から高校まで共にプレーした。
 もう二人は保育園から高校まで15年を同じ学舎まなびやで過ごした。真面目で頭良くてユーモアあったり手先が器用だったり、とても尊敬できる奴等だった。

 30代になった頃、3人を亡くした。一人は静岡県高校体育科教員の同期で、社会人サッカーチームでも共にプレーした仲間。幼子たちを残してまだ33歳だった。
 もう一人は横浜国大バレーボール部でゼミも同じだった後輩。夢枕に出てきたその朝、亡くなったという電話が入った。
 もう一人は世話になった親方。料理修行をあがった半年後、42歳の若さで亡くなった。成功した脳動脈瘤のオペ先の病院へ見舞いに行ったベットの上で、色々あったから謝罪して二人で語り合ってからひと月だった。

 43歳の時。20年一緒に過ごした最愛の妻を亡くした。あんなに悲しいことはきっとないし、出来ることなら、もうあって欲しくない。

 そして、僕の人生の要所要所で、助けてくれたり尽力してくれた人達が、若くして亡くなっている。数えたら片手で足りない。皆、優しくて一生懸命エネルギーを分け与えるような人達だった。

 色んな人に聞いても、親族以外の身近な死はそうそうあるものではないらしい。交友関係の数の差があるとしても、それにしても多過ぎやしないか。ひょっとしたら

『僕が悪いのか』

と、恨めしく思って死神めいた自身を責めたこともある。親しい人を、優しい想いや素敵な愛も、頑なに遠ざけたりもした。
 けれど、僕のせいだなんて、そんな根拠はない。なぜ死んでしまったのだろうか、と問いても答えはない。

 せめて、『そんな風に若くして亡くなった人の分まで生きよう!』、という意見もある。でも、僕はそうは思わない。何故なら、例え短いなりにも、彼等は彼等なりに精一杯の《自分の人生》を生きたはずだから。そして、僕には僕なりの《自分の人生》がある。

 それは、やりたい事の我慢や先延ばしをして、ただ死なないようにするのはゴメンだという意味だ。勿論、命は粗末にはしない。欲するままに楽しく過ごしたいと思う。
 だからといって、真っ先に全力で何かに取り組むばかりが正しいワケでもない。ぐうたらしたければする。サボりたければ休む。それら行動や休息ゆえ、誰かに迷惑が掛かるとしてもやめはしない。その分は、いずれお詫びやお礼として、来たるべき時に、誰かに対して、君のために力と愛を注ぎたい。

 そんな風に《生きたい》ので、《死にたくない》と、ただただ年数を重ねるだけの長寿には興味がない。

 とはいえ、それにしても残念ながら《死にたくない》人の方が圧倒的多数だ。コロナ禍のその空気にかもされた、《生きる》営みを抑圧せんとする鬱屈とした世情がそう思わせるのか。震災などの災害で亡くなった方々の御霊みたまがそう感じさせるのだろうか。なんだか、とても、無力さが哀しい。

 それでも、【死について語る】とかって題名つけておきながら、やっぱり《生きる》ことを書いている。きっと、まだ死なない。楽しく《生きよう》と思う。

#生きる #大切な人を亡くしたあなたへ #死にたいと思ったら #死について語る

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