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サッカーはやめてしまったけれど その12【清水商業】

1991年の正月。全国高校サッカー選手権大会に静岡県大会で優勝した清水東高校と共に、推薦枠で出場した清水商業高校の3回戦をテレビで見ていた。のちに語り草になるこのドリームチームは名波(ジュビロ)山田(マリノス)大岩(アントラーズ)を始め、10人が後にJリーガーとなり、また日本代表選手として一時代を牽引することになるメンバーで構成されていた。

僕が高校2年生だった時の選手権予選で清商グランドが会場だったことがある。とにかく埋め尽くす観客・メディアの人だかり。高校年代の日本を代表する選手が集まっている学校のホームゲームだから当然だが、そのあとの僕らの試合では人っ子一人居なくなった。あれほど寂しいものもなくとても羨ましかった。そんな記憶だ。

もとい。さて、この年の選手権。しかしその清商、圧倒的支配ながらも苦戦を強いられ、PK戦にて大宮東に敗れ去ってしまった。僕はテレビの向こうにその試合をじっと見つめていた。未だに理由は定かでないがずっと涙を流しながら。隣で一緒に見ていたオヤジは何も言わなかった。
…サボリだった少年団、サッカー部のない中学、出来なかったブラジル留学や清水への転校、近くの高校、観客のいないグランド、一人ぼっちの3年生、観客と応援に囲まれたキラ星たちとの差、もっと練習出来たのではという自分への不甲斐なさや、全国へ行けた選手への羨望など…。破れた清商の選手達の姿に重ね、きっと色んなことが浮かんでは消えていたのだと今は思う。

そんな中でも、サッカー選手になりたいという夢と指導者になろうという保険を心に抱えて大学受験を迎えた。中途半端な気持ちは全く勉強に向かわなかった。結局、筑波大一本で臨んだ結果は不合格。浪人生活をすることになった。つづく

#高校サッカー選手権 #清商 #清水東 #大宮東 #筑波大 #浪人 #Jリーグ


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