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スピリチュアルとは〜神はいるのか?!から考える

 旅するスーパースター、蕎麦宗です。

 このところ、ずいぶんとスピリチュアルにハマっている、と思われている。実は今に始まった事ではないのだが、それならばスピリチュアルの本質に触れたいと思いこんな記事を書き始めた。
 はじめに、どこで見聞きしたのか覚えはないのに、妙に印象深く覚えている事はあるもので、そんな小話の一つを紹介するとこから始めるとしよう。

 …とある田舎町。大雨洪水の警報が出される中、神に祈り続ける一人暮らしの老婆がいた。近隣の人々が一緒に逃げるよう連れ出しに来てくれたが、

『神様が助けてくれるから』

と言って聞かない。

 そのうち堤防が決壊し、溢れた水は濁流となってその家にも流れ来た。老婆は2階から屋根へと移り、祈り続ける。そこへハシゴを待って村人が助けに来た。『早く一緒に逃げよう』。
 しかし、

『神様が助けてくれるから』

と言って聞かない。

 そうしているうちに、水かさは増して屋根すら飲み込まん勢いだ。老婆は*棟へと上り相変わらず祈っている。やがてボートに乗ってレスキューが助けに来た。『早く乗って、早く逃げろ』。
 が、

『神様が助けてくれるから』

と言って聞かず、老婆は天を仰いで祈り続けた。

 そうして激流は屋根を呑み込み家を押し流し、老婆もろとも藻屑もくずと消えた。

 …さて。死んでしまった老婆はあの世で怒り狂ってのたまう。

『あれだけ祈り続けたのに、どうして神様は私を助けて下さらないのか!』

神は答えた。

『私は一度ならず、二度も三度も助けんと使者を其方へと遣わした。けれど、それを無碍むげに断ったのはお主ではないか!』

死者となった老婆は、神に言われて、ようやくハっと気がついた。

*棟…屋根のてっぺんの三角のところ

記憶の彼方

 神は姿を露わにして助け来るものでは無く、様々な形でその祈りに応え助けるべくメッセージを送ってくれる。なるほど、目に見えて即物的な分かりやすい救いではない、ということだ。

 実は普段これと同じ事が起きている、と僕は考える。
人生をどう進むべきか?
その迷いや不安は何のためにあるのか?

 それらは常に自己に向き合うチャンスとして、己を成長させ進化させる糧として目の前に現れる。言うなればそれが《神》の仕業だ。

 しかしながら多くの人はそれに気が付かない。あるいは目を背け、敢えて見て見ぬふりをしてやり過ごす。その方が一時的には楽だからだ。
 ところが面白いもので、次のチャンスはより酷くなった状況=ピンチとして立ち現れる。まるで洪水の濁流の嵩が増した如くに。すると、なんとかならないものかと、占いやらセミナーやら宗教などへと他者にすがる。それらはまるで、かの老婆の《神への祈り》そのままだ。

 けれど、頼るまではよいとしても、耳障りの良い言葉に自身の苦しさの共感を求めただけならば、なんの進化・成長も無く、またさらに苦難として現れるだろう。そうして、老婆が神を恨むが如くに、家族や周囲の人々や社会を嘆く限り、延々とおんなじ悩みや不安や辛苦は繰り返されるだろう。

 さて。僕はカウンターの飲食店という職業柄、沢山の方々の人生の悩みに触れてきた。勿論自分自身も例外ではなく、同様にそれらを抱え立ち向かってきた。
 その結果、思うに…、ここまで書いてきたような事は、伝わって欲しい人にほど伝わらない。残念ながらそのようである。それはきっとまだタイミングでないから致し方なかろうこと。
 だから、今、この文章に出会えた人は幸せだ。向き合えるだけの資質と、日々の努力をして来たことの証だ。僕の周りにもずいぶんと《目覚めた》人たちが増えてきた。

 スピリチュアルとは、フワッとした占いのことを言うのではない。己の精神的な成長のための自分自身の内面との向き合い方のことを指す。神の救いはおそらくおのれの内側に在る。つまり、《神》はあなたの中にいる。

さあ、ガンバラナシませう。

#スピリチュアル #占い #神はいるのか #成長






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山川宗一郎
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