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人工沼に鴨が来た
目指せスーパースター。蕎麦宗です。
実家の前には田んぼが広がっている。道を挟んでそのまた向こうの農道の向こうの、トマト栽培のビニールハウスまで続いている。*一反毎に所有者が異なるため、細かく畔で仕切られていて、その一枚毎に植え方や育てかたが違うのも見て取れる。
ところが。
この伊豆韮山あたりの多くの農家は兼業で、さらに世代交代が進む中で放置される田んぼが少しづつ増えているのだ。実際、目の前の8反のうち5反が休耕田である。
そのうちの一つが代掻きを終えたあと、水だけが張られたままで田植えされることなく放置された。理由は定かではないが、ご高齢ゆえと聞く。
おかげで目の前はまるで沼地のようになっているので、涼しげな風も吹くし、鏡面となって青空や雲を映してくれるので眺めて飽きない。
それだけでなくそこへと鴨がやって来た。最初は2羽そして彼らが仲間を引き連れて、瞬く間に増えて今は16羽もいる。水草を食み、他には何を食べているのか知らぬ存ぜぬ餌を求めてすいすすーいと、突然できた人工の沼地で穏やかに過ごす姿のカモはなんとも美味しそう、否、愛らしい。
…想えば。
以前【地理から見る狩野川】や【狩野川とマングローブ】に書いた伊豆に流れる一級河川狩野川の周りや、ひいては日本中の河川の流域には、至る所にこういった沼地が広がっていたはずだ。それがかつての原風景で、北海道の釧路湿原などに留まられている景色がそれだろう。
今は田んぼという人工的な場と、堤防という人工的なものに囲まれ囚われた『川』という自然、というように仕切られつつある。曖昧な境界は少しづつ消え、天然と人工という二項対立にますます置き換えられて行くのか。
と思いきや、農家の爺さんの気まぐれで出来たひょっこり人工沼が、また自然へと帰って行く中途の曖昧な空間になっている。
手付かずの自然(天然)は人の侵入を拒む。でも人もまたその存在は自然。けれどあまりに人工的になりすぎた場所はまた人を遠ざける不思議。そんな矛盾や誤謬を包み、この営みを繰り返しながら、目の前の風景はどんな風になってゆくのだろう。
はて、ガンバラナシませう。
*一反…田の面積を表す単位で約10アール。古代には米1石の収穫が上げられる田の面積を1反としていた。
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