サッカーはやめてしまったけれど その1【韮山サッカー少年団】
小学3年生の時、地元韮山のサーカー少年団に入った。時代は1981年。あの名作漫画、《キャプテン翼》が産声を上げたばかりだ。
その頃は地域の子ども達はソフトボールに勤しんでいた。近所の野球好きなオッサン達が指導者がわりになって、地区別対抗の大会に出た。僕は子どもの頃から何となく腕や手が不自由な感じが自分的にあって、投球やバットコントロールに苦手意識を持っていた。また、婆さんっ子で、その祖母の影響でアメリカ嫌いだったので、野球にはなお興味を持てずにいた。見たいテレビ番組があっても野球中継ですぐに潰れるし、巨人が勝つと親父の機嫌は悪くなるし…。
そんな折の少年団結成は福音だ。地元の県立韮山高校のサッカー部OB達が中心となり結成され、たったの週一日曜日だけでも、サッカーを楽しませて貰った。「脚でボールを扱うだなんてはしたない」という年配の田舎もんの声にもめげずに。
ちなみに練習や練習試合にも自転車で出向いていたのですが、もしあの頃に売っていたならば、僕の『 自由の翼』はタイガース自転車ではなく、きっとセレソン自転車だったと思う。
*セレソン=サッカーのブラジル代表チーム
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