同じ疑うなら、否定ではなく、信じるために疑え
旅するスーパースター、蕎麦宗です。
このところ、今まで《確か》だと思っていたことが色々と覆っている。それは社会や歴史だったりスピリチュアルだったり色々だけど、自分の《常識》を一度解体して再構築する時代が来ているのだなぁ、とつくづく思う。しかしながら、どうしても受け入れ難いと否定される場合には、口をつぐむしかない。
まるで相手を否定するかのように、疑いの眼を向ける人がいる。比較的男性に多い気がするけれど、それは競争して生きざるを得ない《男=オス》の本能にある哀しい性。小さな優越感と敗北感を、常々他者との間に抱えて生きている。だから世の女性達に願おう。子供だと思って大きな愛で見守って下さいな。
さて。
何か未知なことに触れた時、自分が経験していないのだから拒絶反応を示すのは至極当然。それが、視えない・聴こえない・触れられない物事であればなお、そこには不安や恐怖すら生まれる。
得体の知れない物事を理解するために、自分の知り得る情報を脳内からかき集めて、めいいっぱいの想像を働かせる。けれど、いくら思考を繰り返したところで、それでも分からないことは多い。
そして、皆がみな《理論宇宙物理学》や《新実在論哲学》や《量子力学》や《分子生物学》に精通しているわけでない事は、この名詞を見て???になっている時点で明らかだ。(もちろん僕もだ(笑))。
さらに、科学が解明していることなんぞは、氷山の一角。しかも、権力者や為政者に都合よく改ざんされたり隠されたり。けれど現代人は歪んだ科学教信者がほとんどだ。そうして相手が持ち合わせている、自分には《得体の知れない》物事を
『それは科学的に考えておかしい、あり得ない』
と、否定する。その僅かな否定が、勝ち誇った小さな優越感に変換されるので、なかなか厄介。
とはいえ、《疑問》は人類の進歩の糧でもある。凝り固まった旧来の見識は、なかなか手放せないもの。けれど今までの《常識》が、*新たな発見によって覆るのは周知の通り。
だから、せめてその疑いを、否定するためではなく、より良き未来を築くべく《信じる》ために使おう。ただ『無い』と否定しただけでは、自身と社会の歩みを止める。疑うべき対象は相手ではなく、己にある。
『知らない事はないのか?』
『分かってないことがあるはずだ!』
と、様々な角度から考察することこそ本来の科学的態度。多種多様なモノ・コト・ヒトによって、理解を深める姿勢が大切だろう。
それらは、大袈裟に言えば地球の進化に、そして何より、身近にいる愛すべき人と自分自身へのためになる。つまりは《愛》。それは100%信じて疑わない。
さあ、ガンバラナシませう。
*新たな発見によって覆る…例えば天動説を信じている人はどの程度いるのだろう?ロケットや衛星写真で見る限り、地球は平盤でなく丸い。
同様にダーウィン進化論も、石油が化石燃料である事も覆りつつある。
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