見出し画像

適塾跡

 福沢諭吉は、大阪市福島区福島、今は朝日放送のビルのあるあたりにかつて存在していた中津藩の蔵屋敷に生まれたそうである。中之島を見渡せる堂島川右岸の朝日放送の立派なビルディングの脇にその記念碑が立っていた。

 そこから歩いて20分ほど。堂島川を渡り、中之島を東に進み、肥後橋を渡ってさらに少し東に進む。中央区北浜3丁目に適塾がある。適塾は福沢諭吉が若い頃にそこでオランダ語などを学んだことでその名が知られている(というか私は福沢諭吉の自伝を読む中でその名前を初めて知った)。その建物は国の重要文化財に指定されている。

 緒方洪庵という人については、適塾の先生で福沢諭吉に蘭学を教えた人くらいの認識だったが、適塾近くにあった案内板を見ると、天然痘流行時にその治療のために除痘院という施設を作って治療をしたりしていたそうで、医学面で当時大きな活躍をした人だそうである。ウィキペディアによると日本における近代医学の祖と言われているとのことである。

 適塾の近くには大阪市立愛珠幼稚園があり、その校舎がこれまた非常に歴史を感じさせる作りになっている。ウィキペディアによると、
「1880年6月1日に開園した。現存する幼稚園としては大阪府内では最も古い歴史をもち、また日本でも2番目に古い歴史をもつ。現存する木造の幼稚園園舎としては日本最古、また民間の手によって建てられた幼稚園としても日本最古となっている。」とのことである。この建物も国の重要文化財である。

いいなと思ったら応援しよう!