メロス6:デイサービスセンター命
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メロス6:デイサービスセンター命
メロスやセリヌンティウスが働くデイサービスセンター命は、京阪間にあるベットタウンに立地している。私鉄とJRが並行して走る狭い市街地を離れ、少し山の斜面を上がったところにあり、そこからは市街地とその南端を流れる淀川、さらに西を向けば、西日本第一の大都市大阪の街並みが良く眺められた。かつて某金持ちが居を構えていた邸宅で、表側に洋館が立ち、中庭を挟んで奥に日本家屋が建っている。二つの建物をつなぐ渡り廊下は和風である。中庭があり、洋館の側に花壇がしつらえられ、日本家屋の側は小さいながら整えられた池を中心とする日本庭園になっている。花壇と日本庭園の境にあずまやがあり、8人ほどが腰かけられる木製のベンチがある。洋館の側はその一階が改築され、デイサービスのリビングと事務所になっている。一階には他にトイレ、浴室がある。日本家屋の側に一部和室を改造してベッドを入れた静養室が設けられ、台所と職員の休憩室もこちら側にある。南側の渡り廊下を歩くと眼下に淀川を望むことができる。
メロスやセリヌンティウスが言うほどデイサービスセンター命はひどい職場ではない。むしろ評価すべき点もいくつか見受けられる。メロスやセリヌンティウスは人が足りないと思っているが、デイサービスセンター命の職員数は政令の規定を十分にクリアしており、むしろ多いくらいである。そしていくつかの興味深い取り組みもこのデイサービスセンター命では行われている。
一つは地域活動参加者への手当支給である。地域活動、つまりはボランティア活動や自治会活動などに参加している職員に対しては1日につき1日分の給料に相当する手当てが出る。有給を使ってボランティアをすれば二日分の給料ということになる。ただし、自治会活動を除いては活動範囲を限っており、それはデイサービスの営業範囲の中での活動に限られる。そうすることで職員と地域の住民が顔見知りになり、デイサービスにボランティアを呼び込んだり、またはそれこそ「あの人の働くデイサービスに行きたい」という高齢者を作り出すことで営業にもつなげようという考えが経営者Tにはあった。この制度をねずみ男と出目金は活用している。近所の認知症カフェやつどいの場の手伝いに彼らは参加している。そこで知り合ったバイオリンの先生でボランティアをしている女性が実際に定期的にデイにボランティアで演奏に来てくれるようにもなった。いまのところ営業に結び付いたという事例はないが、今後そういうことも実現するかもしれない。セリヌンティウスはこれに不満である。結局社長はただでさえ忙しい俺たちに営業までやらせようという魂胆だと彼はいうのである。なんでせっかくの休みの日にまで営業をしなければならないのかとよくメロスに文句を言う。「俺たち身体をつかって一生懸命働いている労働者には休みの日にはちゃんと休む権利がある。はっきりいって週二回の休みはきちんと一日中寝て過ごさないとこの仕事は体力的にきついよ」と対して働かないセリヌンティウスはいつもメロスに力説している。人付き合いが苦手で生来の怠け者であるメロスもこの制度を活用していない。
デイサービスセンター命では事業所としても二月に一度認知症カフェを開催している。もちろんこのカフェを手伝った場合でも上記の手当の給付対象になる。セリヌンティウスとメロスはこの手伝いもしていない。カフェは営業時間後の6時半から8時半である。おれたち忙しい介護職員がそんな遅くまで手伝いできるか、というのがセリヌンティウスの見解である。カフェではプロジェクターを使って壁に設置した大きなスクリーンに懐かしい風景や映画の一シーン、音楽などを流し、それを観つつおしゃべりをするということをやっている。洋館の洋間で食事をとるということ自体なかなか魅力ある体験だが、それに加えてこの認知症カフェは料理にも凝っている。おつまみや軽食、飲み物を調理師のJが用意するのだが、Jは若いころに世界一周をして、世界各国の食べ物や飲み物の知識を仕入れている。このカフェのために、関西のあちらこちらから食材を仕入れて、海外で見て覚えた珍しい料理をJは提供している。カフェは参加者に食事の材料代だけいただいているが、実際にはJがかなり持ち出しをしている。それでも参加者の笑顔が見えるというのを喜びにしているJは毎回工夫を凝らした食事を用意している。おそらくこのJがこのデイサービスでもっとも仕事のできる男だろう。Jの料理の腕前は確かで、料理目的でケアマネが利用者にデイサービスセンター命を紹介することも多々ある。
この調理師Jが中心になって、デイサービスセンター命では希望する利用者への夕食の弁当の配布も行っている。月から金まで地区の15件ほどにお弁当を配達している。Jは翌日の食材の買い出しを兼ねて、夕方から自分の車でお弁当配りに回っている。買って帰って仕込みをするなど彼は毎日かなり遅くまで働いている。いつも事務処理で10時11時まで残るねずみ男をのぞけば、もっとも労働時間の長いのがJである。独居高齢者の半数が栄養不足と言われる。このお弁当を目当てに利用者を紹介するケアマネも少なくない。これほど献身的でデイに貢献しているJだが、セリヌンティウスは彼にも不満があるらしい。彼が自家用車を持っていること。私服や身につけたものから、セリヌンティウスはJが自分たちよりよほどいい給料をもらっているとみている。J自身は残業代などいらないという考えだが、経営者Tはそれを許さない。残業代が多くなり、結果給料もよくなっているのである。
またこのデイサービスには先述のとおり、立派な中庭がある。昼食は天気が良ければこの中庭で行う。あずまやのベンチとその隣の空間にピクニック用のテーブルと椅子を並べ、花や日本庭園を眺めながらJの作った料理を食べるのである。この中庭での昼食はこのデイサービスの大きな売りになっている。庭には2月に一度業者が入ってその手入れをしている。その都度花壇の花は季節のものに入れ替えられ、1年中花を楽しむことができる。日頃の花壇の手入れは元気な利用者にしてもらっている。なんにでも文句のあるセリヌンティウスはこれにも不満である。どこに金を使っているのか、というのが彼の言い分である。我々を薄給でこき使って、妙なところに金を使って、と彼はいつも怒っている。中庭には手すりが少ない。ろくに手すりもないところを、利用者たちはやたらと歩きたがる。それも彼には気にくわない。特に歩行に介助が必要な女性利用者のIが中庭の散歩が好きでちょっとお花見せてや、と言われるたびにセリヌンティウスたち介護職員はそれに付き添わなければならない。めんどくさいもの作りやがって。そんなのに金をかけるならこっちの給料上げるのが先だろが、とセリヌンティウスは言うのである。そしてメロスも確かにと思うのであった。
地域活動参加手当のほかにもう1つ手当てがある。それは研修参加に対する手当である。経営者Tは地区の中核病院や社会福祉法人、役所や消防署などが行う様々な講演会や講習会、勉強会の情報を仕入れては職員に提供している。それ以外にも職員が個人的に探し出して申請した場合も手当を出している。研修参加費および一日の給料分である。さらにはデイサービスの建物の一室をいつでも勉強会に開放すると職員には言っている。勉強会に必要な本があれば会社で購入するとも言っている。ただ残念ながら職員主体の勉強会がデイサービスで開かれたのは1度だけ、5年ほど前、ねずみ男がまだ通信制の学校で社会福祉士の勉強をしていた時に、スクーリングで習った認知症対応の考え方が面白いからと数人の介護職員を無理やり誘って一度勉強会を開いたが、それが唯一で、経営者Tが考えるほど職員は勉強会に興味が無いようである。ただしケアマネとしてTが付き合いのある事業所にも勉強会として場所を貸しており、そのような他事業所主催の勉強会は幾度かここで開かれている。職員にもぜひ参加するようにとTは声をかけている。ただ、「社長は頭でっかちで現場がわかってないんだよ。何が研修だ、勉強会だ。俺たちの仕事は身体と心を使うのであって、勉強なんかいくらしたって役に立たないんだよ」というのがセリヌンティウスの意見である。
セリヌンティウスは気に入らないようだが、書いていて筆者は非常にこのデイサービスはいいのではないかと思い始めた。こんなところが実際あるなら勤めたいとも思うほどだ。地域包括ケアシステムの構築が急がれるなか、介護職員はその貴重な戦力であるはずである。だが実際には、介護職員の何割が地域包括ケアシステムという言葉を知っているのかさえ疑問である。筆者の考えでは、介護職員というのは高齢者のエンパワメントの達人である。身体が衰え、意欲が低下し、生きる希望も無くした高齢者は、入浴にしても散歩にしても、レクリエーションにしても、なかなか動いてくれないものである。お風呂に誘っても、めんどくさい、しんどい、風邪気味だという。物忘れがあれば、昨日家で入ったから入らなくていいという。もちろんそれをうのみにはできない。そこをあの手この手をつかって入浴してもらうように持っていく。相談員に相談しても大抵の場合うまい解決は見つからない。むしろ「え?1週間も入ってないの?ケアマネに怒られるよ!何してるの!なんとかして」などと怒られる。日頃の関わり、意欲の引き出しなど行いながら信頼関係を築き、「あんたがそこまでいうなら今日は入るよ」と言ってもらえるところまで持っていくのが介護職員である。そこには個別性が高くて、言語化も難しいたくさんの暗黙知と技術が詰まっている。暗黙知ゆえに、傍からみて大して専門性のあることをしているようには見えないかもしれないが、非常に高度なことをしているのは間違いない。もちろんどんな仕事も真剣にやっていればいろいろと高度なことを行うことになる。引っ越しの仕事をしていれば、もっとも効率的で最適かつ安全な荷物の運び出し方などを労働者は身につけているだろうし、そこには膨大な経験知が横たわっているはずである。電気の配線工事をしていれば、やはりもっとも効率的でもあれば見栄えもよく、かつ漏電などの障害のでない方法というのを熟知しているものだろう。スーパーの店員の対応の仕方、声の出し方、表情のつくり方にも膨大な知識が隠れているだろう。介護がそれらと比べて特別高度なわけではないだろうが、それらに負けないほどには高度な仕事である。介護労働者は言葉遣い、声の高低、身振りの微細な変化など、あらゆるものを使って、入浴を嫌がる高齢者、リハビリをやりたくない高齢者、水分摂取がしんどくてたまらない高齢者になんとかそれらをやってもらうということをしている。そのために信頼関係をつくり、生活歴を聞き出し、好きな飲み物、興味のあるスポーツ、どんな仕事をしていたのか、どんな価値観があるのかを探りつつ支援するのである。この専門性が、例えば認知症カフェやつどいの場での催しもの、介護保険対象外のサービスを提供する有償ボランティアなどに有用でないはずがない。セリヌンティウスやメロスは違うだろうが、本当はもっと話を聞いてあげたい、レクをしてあげたい、外出に連れて行ってあげたい、散歩させてあげたいと思いつつも、日常業務のあまりの忙しさにその希望をかなえられない介護職員も多くいる。そういう良い介護職員は往々にして、仕事にストレスを抱え、辞めていくのであるが。地域包括ケアシステムでのいくつかの取組は、そんな彼らの希望を叶える場にもなるはずである。
外に出て日の光を浴びるということの重要性も確認しておきたい。それはビタミンDの産生につながり、骨粗鬆症の予防になるとか、セロトニンの産生を促し、うつや意欲低下を防ぐ効果があるなどというだけではなく、ノーマライゼーションの観点からも重要であるはずだ。これはデイというよりもグループホームなどの施設についての方がより当てはまるだろうが、一日中屋内で過ごすと言うのは普通の状態ではない。一日中テレビを見て過ごす、しかもほとんど内容には興味を示さず、多くの時間を居眠りしながらテレビの前で過ごすと言うのも普通ではない。かといって、忙しい職員が毎日のように皆を散歩に連れていくこともあまり現実的ではない。筆者の勤めたことのあるグループホームでは毎日のように散歩をしていたところもあったが、そこはほぼすべての入居者が歩行可能で、歩行ができないほど重度化すると転出してもらうというようなところだったから可能だっただけである(皆が立って歩くとなると転倒防止のためにかえって職員は忙しくなるという側面はあるのだが)。重度化の進む多くの施設で、毎日の散歩などなかなかできるものではない。
デイサービスセンター命のように中庭があるというのはいいことだと思う。近所の公園に散歩に行くことに比べると、中庭を散策してもらうというのは介護者にとって労力もかからず、見守りもしやすい。天気の良い日は(気温などは十分気を付けつつであるとしても)外で昼食をとれば、日を浴び、風にあたり、木の葉のざわめきを聴く機会を十分に提供できる。季節を感じ、楽しむことも人の基本的な権利である。
あと、介護職員の学習の場の確保である。筆者がケアマネをしていた時はいくらでも研修会や事例検討会の誘いが舞い込んでいた。それが介護職員になってみると研修も事例検討会も一切なくなった。現場の最前線で働くものに対するスキルアップの機会は極端に少ない。デイサービスセンター命のように事業所が意識的に情報提供や勉強会の場の提供をしないといけないのではないかと思う。
しかし、結局セリヌンティウスにもメロスにも、経営者Tの優れた取組の意味は伝わっていない。しかし、それは少しずつ変わっていく。津田花という存在がまずメロスに働きかけ、それを変えていく。変わっていく中でメロスは自信をつけ、野心を抱き、本質的な戦いへと身を乗り出していくことになる(はずである)。