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閉山後の池島炭鉱

久しぶりの投稿です。

今回は、かなり前に訪問した池島炭鉱についてです。かつて、数多くの炭鉱が操業していた九州で最後に残った炭鉱です。
周辺の炭鉱に比べて、新しく開発された池島炭鉱は太平洋戦争の後の昭和30年代に操業を開始し、平成13年に閉山しました。

使わなくなった炭車が山積みに廃棄されていた

池島炭鉱で産出された石炭は、国の産業政策の一環として外国産の石炭の数倍の価格であったが発電所で受け入れていたと聞きました。現在では外国産の石炭もかなり値上がりしているので、デフレが30年近く続く日本の状況を見ると価格の観点では状況が変わってきている気もします。

石炭を運搬船に積み込む施設

池島は軍艦島で有名な端島から西彼高島、伊王島、松島、西彼大島、崎戸と連なる西彼杵半島の西側に位置する島の一つです。いずれの島もかつて海底炭鉱が操業していたそうです。

かつて、出荷前の石炭が山積みにされていたところは既に空っぽだった。

池島という名前は、島に大きな池があったことから名づけられたのですが、炭鉱を開発する際に池と海をつなげて石炭を積み出す港としたため、かつて島のシンボルであった池は海の一部となっています。

外国人のための研修施設としての役割が始まっていた。

閉山から2年後に訪れた時の写真です。

西彼杵半島の多くの集落はいかにも過疎という感じのところでしたが、炭鉱が操業していた時の池島は子供が児童公園で遊んでいたりと活気を感じるところでしたが、閉山後はすっかりと雰囲気が変わっていました。