”飽き”こそものの上手なれ。
ひとつのものに集中できない。
映画を観ていても「あ、あいつにライン返さな」と思うと、映画を見ながら頭では返事の文章を考えている。
「あ、映画に集中しなきゃ」と思った時には次の展開に進んでいる。
初めは「観て」いたのに、いつの間にか「見て」いるだけになっている。
(おかげで文脈を読む能力は身についた。)
こんなことが日常だ。
僕は「飽きっぽい」と思う。
「飽きる」ってなんかダメな気がする。
「根性が無い」とか「ヘタレ」とか「集中力がない」とかそういうのと同じカテゴリーな気がする。
部活をすぐ辞める人、仕事をすぐ辞める人、住む場所を転々とする人。
10代〜20代までは、そういう人は「ダメな人・変な人」的な扱いを受けていた気がする。
そんな人たちの仲間になりたくない。
でもそれは視野の狭い考え方。最近ようやく気づいた。
だって、「飽きる」って普通のことだからだ。
逆に言うと僕は「飽きたから辞める」ということをネガティブに捉えすぎていたのかもしれない。
世間が許してくれない気がする。「飽きた」というワード。
僕はこの「飽きた」にポジティブなイメージを持っていこうと思う。
何を隠そう、8月に退職したクリニックも「飽きたから辞めた。」
「飽きた」ことに気づかずに、人のせいにしたり自分のせいにしたりして、結果的に自分を追い込んでしまうのは良くない。
僕もこのことには仕事を辞めてから気づいた。
というより、おととい「仕事を辞めることについて」友達と話していて気づいた。
仕事を辞めるってすごく気を遣うし、8年半も勤めた自分を肯定したい。
最終的に「飽きた」のが退職理由なんて絶対にしたくない。
だからそれっぽい理由を並べに並べた。
「退職後にやりたいことが山ほどある。僕には夢がある。」的なことを棚いっぱいに綺麗に並べた。
YouTube投稿、収益化を目的としたブログ開設、個人事業主としての活動、、
退職前に並べた「退職後にやりたいこと」を2カ月間で全部辞めた。
理由は「やってみたら飽きたから」としか言いようがない。
ただ、気づいたこともたくさんある。
「発信することは好き、文章を書くのは好き、1人よりもみんなで会社を作りたい」
実際に行動してみて、それ自体は続かなかったがその中から自分が本質的に好きな「行動(動詞)」にたどり着いた。
このことが「飽きることの本質」か。
(例)好きそうなものをとりあえずやってみる。
↓
そのものは好きになれなかったけど、好きな行動(動詞)を見つけた。
↓
その行動を中心に置いたものをやってみる。
*繰り返し
この繰り返しで「本当に好きなもの」にたどり着ける(かもしれない)。
天才たちがやってるトライアンドエラーとは違うんだろうけど、凡才でもできるのはこれだ。
<新しい仕事や趣味で「飽きたなぁ」と感じた時に考えること。>
①単にめんどくさくなっただけなら疲れているだけ。今日のところは寝よう。
②どの要素が「好きか嫌いか」を書き出そう。
③「嫌い」の数が多ければ「辞める」を検討しよう。
④「好き」がメインになるものを探そう
特に仕事はこんなに簡単に辞めるという選択はできない。
でも心の中ではこんなに簡単なもんで良いと思う。
大人になったからといって、カッコいい理由(合理的な理由)を並べないといけない訳ではない。
そこで僕は、
「”飽き”こそものの上手なれ」を提唱していきたい。
いきなり大好きなものに出会える可能性は低い。
いきなり向いてるものに出会えたら超ラッキー。
だからこそ「飽きた」をいち早く察知して、次の行動に繋げる。
それを繰り返しているうちに、気づけば長く継続しているものがあるはず。
「飽きる」までやろう。 飽きたら「変えよう。」
そう、「辞める」のではない。やり方を「変えた」だけだ。
「野球は高校で終わり!」と思っていた僕が、草野球チームを作って5年が経とうとしている。
運営をしながら、気の合うメンバーと野球をするのが楽しい。
左打ちに挑戦したり、サイドスローに挑戦したりできる環境が楽しい。
きっと学生時代の部活としての野球に「飽きた」だけで、みんなで運営する野球は好きだったんだ。
野球よ、もっと「飽き」させてくれ。
人生よ、もっと「飽き」させてくれ。
飽きるまで生きてやろう。