僕は「超二流」になりたい
僕は何かをやり抜いたことがない。
部活も勉強も仕事も、一流のそれとは程遠い姿勢を貫いてきた。
常に「サボる」ことを考え、「休憩」という言葉が大好きだ。
どうすれば「努力せずにある程度の成果を出すか」そのことばかりに全力を注いできた。
部活の指導者や学校の先生の教え方が理解できなければ、言われても絶対やらなかったし、かと言って独学で結果を出すほど能力も努力もしなかった。
「なんか変わったやつ」くらいの感じでそれなりに面白がってもらって友達もいたし、結果的にそれなりの学生時代だった。
そんな僕も29歳になり去年は結婚もした。
振り返ると、
ギター教室に通う・草野球チーム発足・ YouTuberスタート・英語学習・野球コーチング事業など、、
この数年色々と中途半端に手をつけてきた皺寄せと言うべきか、積み重ねと言うべきか、少しずつ身についたり離れたりしながらも、自分の世界が広がってきているのが肌感覚として確かにある。
僕は集中力が著しく低い。
そこには自信がある。この文章も本来やるべきことをしている間に思いついたので、書きたくなっただけ。
やるべきことはいつもギリギリ。
かと言ってすごく実績がないわけでもない。
仕事では一定の評価をしていただいている。
友達から結婚式の余興や動画制作を毎年お願いされる。
趣味も一応手は抜かずにやっている。
なぜか最近、周りからストイックだとか多趣味だとか良いように言われることが増えてきた。
「全然そんなことない、一流とは程遠いよ」と返していた。
だって僕が本やテレビで見て活躍している人は本当に寝食を忘れて何かに取り組んでいる。
没頭している。
あげくには過労で倒れてしまうようなスタンスで生きている。
僕は何事も限界2歩手前でその勢いをゆるめてしまう。
僕は過労なんかで倒れたくない。めっちゃ寝たい。
そんなスタンスはストイックでもなんでもない。
しかし最近気づいたことがある。
「頑張っていない人も多い」
僕より他力本願で自分の意見を持たず、夢も過去に置き去りで過ごしている人が多い。
10万円の支給で一喜一憂している人が多い。
僕はその世界観ではない。自分の人生は自分で決めたい。
自分の手で未来を作りたい。
「みんなに夢を見せたい。」というくらいの野望はある。
だとしたら僕のいる世界は一体何流だろう?
うん、これだな、
僕は「超二流」になりたい。
とてつもない集中力でとんでもない偉業を成し遂げるような人にはなれない。
でも色々なことに挑戦したり逃げたりしながらも、
自分の成長を感じ、関わってくれる人たちを前向きにする超二流になりたい。
意外とそう言う人結構多いんじゃないかな?
そう言いながらマジで高学歴とかハイスペックの人はお断りね。
それはただの謙虚がいきすぎた傲慢だから。
とにかく僕のスタンスは「超二流」
ここに決めた。