9.11続き。
2001年のクイーンズは田舎によく似ている雰囲気だった。僕が今田舎で暮らしているので、自治という面で家と家の付き合いがキチンとしている印象を受けた。
キムおばちゃんが毎日バーベキューを開いてくれた。「若い子を食べさせることが幸せなの」とキムおばちゃん。夫のルイスは敬虔なキリスト教徒でそれをニコニコしながら見ていた。
治安はあまり良くなかったけど治安が良くないなりの自治があったのを学んだ。
毎日ガロンで出てくるワインで僕は観光どころではなかった。
「お前は何で働きに出ないんだ?」
みたいなことを言われるくらい僕は観光もせずにNYで暮らした。
そんな中向かいの家の韓国人留学生と話す機会が多くなった。
キム1はステレオタイプの反日主義。キム2はなんか「良ければいいじゃん」みたいなやつだった。
毎日飲んでて、僕はキム2とメチャクチャ仲良くなった。
よくよく話を聞くとキム2は英語学校に通っていて好きな娘が日本人とのこと。
ある日のこと、キム2といつものバーベキューが終わった後、キムおばちゃんの家のカウチの階段で二人でタバコ吸いながらキムが言ったんだ。
「韓国では尾崎豊のアイラブユーが流行っているんだ。だから僕は彼女に愛を伝えたいから日本語の歌詞を教えてほしい」
と言った。
僕は尾崎豊が好きだったしキム2が好きになっていたので日本語講座を尾崎豊のアイラブユーで始めた。
二人のカウチに座りながらタバコを吸いながら尾崎豊のアイラブユー講座を始めた。
「nogare.nogareってどういうこと?」
とかそんな話をしていた。
そんな日々が楽しかった。
日本語講座はずっと続き、キムおばちゃんのバーベキューも毎日続き、僕とキム2の夜のカウチトークは日常になった。僕が日本に帰る日になった。
キム2はまだ留学の日があり僕らはキムおばちゃんルイス、ヨシとも抱き合って別れた。
僕の青春にとってすごく影響を受けた出来事だった。
でもその日は2001年9.11だった。