運営と哲学
芸術と関わる以上、哲学の知識が必要になる。哲学の仕事が芸術に影響を与え、逆に芸術が哲学に影響を与えることもある。表現できることが違うからこその関係性がある。
そして、当然、作家が始めたギャラリー経営にも、制作で学んできた哲学が影響する。galleryMainの運営メンバーと出会った時も、そんな話から初まった。私は #表現の“話”をしよう という、コミュニティを運営している。このコミュニティの構想は、galleryMainで行っていた学生の写真チームがベースになっている。そこは月一回集まり、人が人を読んで、次々と入れ替わりの多いチームだった。それはグラノヴェッターの「弱いつながり」を表したような場所だった。その「弱いつながり」をもう一度復活させるための場所として #表現の“話”をしよう を立ち上げた。最初のイベントのお客さんとして来たのが運営の山崎だ。東浩紀の 『弱いつながり 検索ワードを探す旅』 の話をしながら、このイベントをやる理由を話し、ならば強いつながりが必要ではないのかと、美大芸大とは違う芸術の方法を模索する『Plot Art School』を作ろうという話になった。
制作の思想で思い付くアイデアは、資本主義の土台で機能するのか怪しいものも多い。 #表現の“話”をしよう も、弱いつながりを生み出すために、無料で行っている。(なので運営もリラックスしてできるようにしている。)『Plot Art School』も、思想なしでは続かなかった。2019年に、単発の授業から始まったが、写真業界を挑発する内容でもあったので、同業者からも批判が来る(少しだけど)プロジェクトだった。このプロジェクトが継続したのは、こちらも同じく東浩紀の影響を受けている。『ゲンロンβ32 「運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について」』や『ゲンロン戦記』に登場している運営と制作の一致という考え方から、ただ運営するという視点だけではなく、制作の、作家の思想にも重点を置いて、意味あることを哲学を持って続け今がある。
哲学を学ぶと、簡単に資本主義に折れることができなくなる。いきなり哲学ではないが、美術批評の歴史から形式と内容の関係性を知っている。ビジネスでも形式主義に陥ってはならない。ジョルジョ・アガンベンの最新の書籍からはコロナ時代の、健康と権力が結びついた時の危険性を学ぶことは、自分たちの立場を冷静に客観視させてくれた。と、話の方向性が霧散してしまったが、経営を学び経営することに、哲学を学び哲学を持つことで、違ったやり方に辿り着けないか。まず、乗り越えるために、両方の言葉を語れるように、noteを続けてみたい。