母の命日に後ろめたい感情になるのはなぜか?
今日は母の命日です。
亡くなったのは2010年3月3日だったので、14年が経ちました。
最近では、在宅医療関連の発表の場で、「在宅医療に関わるモチベーション」の1つとして、母を在宅で看取ったことを挙げているのですが、本来は、「自宅で看取った!」と、ある意味では誇らしげに他人様に言うのは憚られるような、後ろめたい気持ちがあります。
今日はその後ろめたい気持ちに向き合ってみたいと思います。
北海道で二度目の学生生活を満喫していた29歳のギータ
遡ると、2009年10月から北海道の医学部に編入して、尋常じゃない量の課題をこなし、仕上げとなる期末試験を終えたところでした。
勉強に追われる毎日でしたが、2回目の大学生活で、学業に専念できる有り難い身分を実感し、日々、多幸感に包まれていました。
東京の実家で療養していた母を看病に当たってくれた看護師である姉からは母親の状態が悪くなっていることを逐一、報告受けていましたが、正直、あまり考えないように、より勉強に没頭していました。
いざ期末試験が終わり、早く帰ればよいものを、試験の打ち上げや部屋の片付けを理由を日一日と帰省を延ばし、気づけば姉からは「もうあと数日かもしれない」というようなメールがきていました。
母の病状を伝える姉からのメール
実際にどんなメールが来ていたか、初めて見返してみましたが、こんな内容でした。
調べてみると、亡くなる6日前でした。
このとき、本当にレポートがあったのか、ただの言い訳だったのか、そもそも母親の危篤時に粘ってやる性質だったのか、などよく覚えていませんが、少なくとも、東京に帰ることを忌避していた気持ちがあったような気がします。
目の前で息を引き取る
実際に帰省したのは3月1日で、亡くなる2日前でした。
兄弟姉妹で交代で母親の付き添いをしていましたが、亡くなった時はたまたま自分の担当でした。
嘔吐して吐瀉物を喉に詰まらせました。すぐに横に向かせて吐き出せましたが、そのまま呼吸が止まりました。訪問診療の医師に往診を依頼し、父親にも連絡しました。医師の診察のもと、父親とともに母を看取りました。
「間に合ってよかった」というのが一番でしたが、一方で「すぐに帰られたはずなのに、何やってたんだ?」と過去の自分を責める現在の自分がいます。
……とはいえ、いま考えてみても、母の亡くなる前後に自分が感じていたことはよくわからない、というのが実際のところです。
やや話がずれますが、「息を引き取る」という言葉について、こんな記載がありました。
うまく「息を引き取る」ことができたか、自信はないですが、在宅医療に関わるようになった自分としては、牽強付会・こじつけのように感じられる部分はあるものの、とにかくこの経験が自分の価値観に良かれ悪しかれ、影響しているのは間違いなさそうです。
「後ろめたさこそ倫理」
いい医師になるために先のことばかりをみていた自分にとって、消化しきれない複雑な感情を抱いていた母親が亡くなるかもしれない、ということに当時は十分に向き合うことができませんでした。
こうした経験から、自分が医療者として患者さん・家族に関わる時には、同じような思いはしてほしくないな、と考えてしまう部分がそれなりにありそうです。
自分の価値観を踏まえつつ、それを相手に押しつけないように意思決定に関与していく必要があると常々、考えています。
最後に、正確な日時は思い出せませんが、たしか朝日新聞の記事で精神科医の斉藤環さんが「後ろめたさこそ倫理」というタイトルで記事を書いていました。
「後ろめたい」「後悔の念がある」ことにこそ、倫理の種があるのかもしれません。
……結局、全然まとめることはできませんでしたが、ギータ自身が終末期の患者さん、家族へ関わる仕事なので、この先もずっと考え続けていきたいと思っています。お母さま、また来年です!