【2章】 1.愚者
「これが扉だ」
美都市から電車で1時間、更に徒歩で40分ほど歩き、人里離れた山のふもとにそれはあった。
「…すげえ、ほんとに扉だ」すげえ光ってる
「あ、触らないで。結界が張ってあるから、触れると魔物が出る」
「えっ!なんだそりゃ」
「人の目につかない場所ではあるけど、万一見つけた人間が誤って開けてしまうと大変でしょ。その対策さ」
「……どこにその魔物がいるの?」
「ここ」
ーーーーースッーーーーー
森の奥に明るい光りを放つ扉がひとつ。光が強い為、地面から浮いている様に見える。日常では目にすることのない異様な光景。
”ゲームみたいだ”ーーーと冷基は思った。
シキはその扉の真後ろに生えていた大木の幹の隙間からカードを一枚取り出してみせる。自分の持ち物のタロットカードだ。
「あ!またそれか!」
「俺以外の者がこの扉のノブを握ったらこのカードの中の人物が現れて、対象者に帰宅を促す」
「え、お前がいなくても出てくんの?」
「ああ。正しくは魔物ではなく”愚者”なんだけどね」わかりやすいかなって
「…グシャ?」
「…愚か者ってこと。もしそいつが帰宅を促しても帰ろうとしない者には、どういうことになるのかを実演で示してくれる」
ーーーースッーーー…
「…え、なに?」
「好香、やってみるか?冷基には一度見せたことがあるけど、お前には俺の能力、見せたことないから」
「いいんか?ばあちゃんに怒られねえ?」
「怒るも何も、俺たちは今から血界に行くんだから。寧ろひとつでも多く血力を見ておく方が良いに決まってる」
「ま、それもそうか?こっからはばあちゃんもいねえしなあ」
「ああ、ここからは俺たち三人。さあ、好香。扉のノブを握ってみて」
「……うん」
シキに促されて好香がその光る扉のノブ部分に触れたとき、稲妻が走ったようにひときわ光が強くなり、好香と冷基は思わず目を瞑ったーーー。
ーーーーー”約束の二か月”の修行を終えて明くる日の朝。ひとまず影屋敷に集まったシキ、冷基、好香の三人はこの森を訪れてた。
”なるべく人目につかない様に”と細心の注意を払い最小限の人数で、人目にのつかない平日、早朝の移動。準備は満タン、首尾は上々だった。
ただひとつの問題を除いてはーーーー。。
ボワンッーーーーーー…!
『どうも、初めまして♪』
「うおっ!出た!!シキのそれ、何度見てもすげえ…」
「ふふっ。彼は話せるんだよ、好香。会話してみてよ」
「……会話、……ーーーーこ、こんにちは…?」
『こんにちは!私の名前は”愚者”。無邪気で無謀な冒険家だよ。君の名前は?』
「……好香…」
『好香、君はどうしてこの扉を開けるの?旅に出るのはまだ早いんじゃないかな…?戻ってこれなくなってしまう。
この先はとても恐ろしいところ。残念だけど、力不足。やめておいた方がいい』
「………え、どうしたらいいの?」
「”嫌だ、行く”と言ってみて」
「……”嫌だ、…行く”」
「クソ棒読みだなあ、お前(笑)」
冷基と好香が次に目を開けたとき、シキの言う”魔物”は煙とともに目の前に現れた。
”正しくは愚者”は人の形をしていて、カードの中からそのまま飛び出してきた様に図柄と全く同じ格好をしている。
民族衣装の様な服を着て、左手に白い薔薇、背には荷物。そして足元には白い犬まで具現化されていた。もちろん犬も生きており、吠えはしないがハッハと呼吸のたびに毛が揺れている。作り物ではない、リアルな人と動物ーーーー。
シキの手には時さきほどまで指で挟み持っていたタロットカードがなかったので、”中身が出てくると同時にカードは消える=中身とカードが入れ替わっている”と冷基は理解したが、初見の好香は珍しく少し動揺している様だった。
それもその筈ーーーカードから飛び出てきた”愚者”は人の形をしているが明らかに異質であるし、何より姿を現したときにぶわっと血の匂いが広がったから。そしてそいつが流暢に言葉を話している。
…誰かさんみたく少し胡散臭い口調で。
いつもより少し怪訝な表情をしながらもシキに言われるがまま言葉を復唱する好香を見て冷基は笑っていたが、当の好香にそんな余裕はなさそうである。
『…そっか。なら君の未来を教えてあげる。良くみててね』
”愚者”はそう言うと三人を横切り、崖になっている橋の道まで歩き出したーーー。
「え、なんだなんだ。どこ行くんだ?」
『ワン!ワン!』
「…っ!」
「実演が始まるから、ついて行くといい」
さっきまで大人しかった白い犬は愚者が歩き出した途端に鳴き出して、好香の足元に纏わりつく。”早く行け”と促す様に。
好香は反射的に足を止めたがシキにも念押しされた為、仕方なく愚者とその後ろの冷基の後についていく。
ーーーーズザーーーッ…
崖の手前で足を止めた愚者は振り返り、好香に目をやりこう告げた。
『好香、よく見ててね。これが扉を開いた近い未来の君の姿』
「………、」
ーーーーーーザッ、ザッ、ザッザッーーーーーー…!!!
『ワンッ!ワンワンッーーーワンワンワンワンッ!!!!!』
「………えっ…?」
「なっーーー…!」
ーーーーーードンッーーーーーー…!!!!
ーーーーーーグシャッーーーー……!
一瞬のことだった。
愚者に付き従っていたと思われていた白い犬が猛スピードで走ってきて、けたたましく吠えながら愚者の背を目掛けて思い切り飛びかかり、愚者を崖へ突き落した。
その時間、僅か数秒ーーー。
冷基と好香は一瞬固まったが、冷基はすぐに走り出して崖の下の様子を見に行き、好香は後ろのシキを振り返った。シキは特に表情を変えずに崖の手前をうろついている犬を指さして好香に言う。
「その犬、捕まえておいた方がいいんじゃない?お前ら二人とも落とされるぞ」
「……趣味悪くない?」
「これが現実なんだから、仕方ない」
「………」
急に目の前で起きた惨劇に思わず嫌味を言ってみたものの、シキは涼しい顔で淡々と答えるので、好香はそれ以上言葉は返さず言われた通りに犬を抱え上げた。冷基の背後に回っていた、白い小さな犬をーーーー。
犬は特に吠えも暴れもせず好香を見上げたが、一瞬だけ目を合わせた後、好香はすぐに冷基のそばにかけ寄った。
「…”愚者”、どうなった?」
「下見てみ、ぐっしゃぐしゃだわ、愚者だけに」
「……うわ…」
「実演ってこれかよ。グロイっつーの」
「…これが近い未来のあたしの姿らしいわよ」
「うーん…。つーか、酷いのお前じゃね?お前、あいつの相棒じゃなかったんかい」こんなとぼけた面してよお…、
冷基がそう言って好香の腕に抱かれた犬に声をかけて、触れようとした瞬間ーーーーー、
『ああなりたくなけりゃ、命が惜しけりゃここに居ろ。てめーらなんか、犬も食わねえ存在なんだよ。
そんな奴が一丁前に扉を開けようとしてんじゃねーよ、バーカ』
「「ーーーーっ…!!」」
「…ぁんだと~!?」
ーーーーーーボワンッーーーーーー…!
今までワンワンと吠えているだけだった犬が急に低い機械音声で人の言葉を話し出したことと、その可愛い風貌と裏腹に偉そうで野蛮な口調であったこと。
それらの驚きで冷基の反応が一瞬遅れた隙に、犬は煙に飲まれ消えて行った。
崖の下に落ちて見るも無残な姿になっていた愚者もシキのカードに戻ったのだろう。流していた血、共々きれいさっぱり無くなっている。
その証拠にシキの指にはカードが戻っている、図柄も同じ”愚者”のものが。それらを目視で確認し、”なるほど”と好香は理解した。
…これがシキの”血力”ーーーー。
「はい、そこまで。まあザッとこんな感じ。どう?この実演。効果あるかな?」
「ああん!?つーか犬もっぺんだせや。偉そうにディスりやがって。一発殴る!」
「…だからもう終わりだって。冷基はもうわかってるでしょ?タロットカードから出てくるすべてのものは俺の血力が見せているだけであって実在はしない。」
「っつーことはあの犬はてめーだな、ならてめーを殴る!おら、歯あ食いしばれ!」
「やめろっ、なんでそうなる」その理屈は間違ってもいないが…
ーーーーザッーーーー…
「ねえ、シキ」
「ん?」
「さっきのシキが全部考えてんの?シナリオ?とか…セリフとか…」
「そうだよ。あ、協力者はいるけどね。どう思う?好香は今の実演」
「…人によっては逆効果じゃない?」
「うーん、そうか。よし、また練り直そう」
「あと、あたし、近い未来ああなるの?」
「…俺の言うことを聞かなければね。
俺を信用してよ。そして用心して。
これはお前ら二人共だけど、ああいう場面に出くわしたときはすぐに犬を捕獲しないとダメだ。
血人が数秒で殺られるなら、お前たちは数コンマで殺られるということ」
「むちゃくちゃ言うな。お前を信用してるから犬を放置したんだっつーの。なあ?好香」
「………」
「…そうなの?それは失敬。それじゃ、気を取り直して行こうか。血界へーーーーー」
ーーーーガチャッーーーー…
「…っ!」
「…うおっ、扉の中まで眩しいじゃん。なんもみえん!」
「二人ともーーーひとつ、約束だ。俺の半径三メートル以内を離れないこと」
「…はあ?」
「近くね?うるしが言ってたぜ、”シキは距離感がおかしい”って」
「…そういうことじゃないんだけどな。まあ…いいや、とにかく約束ね」
「…考慮するわ」
「俺も」
「…はあ、先が思いやられるな」
そうして三人は扉の向こうーーーー光の中へ消えて行った。
三人の血界での人捜しが始まる。