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私はどうして生きているの
みんなはどうして生きているの?私はこれを読んでくれているあなたにはこの世界がどう見えているのか知りたい。
そこで私の「生きる」についてぽつぽつと考えてみる。
これから書くことは綺麗事と捉える人もいるだろうし、あくまで私の考えであり誰かに強要するつもりは一切ない。それぞれどのような考えを持っていても、持っていなくても、まだ言語化されていない感情でふわっとしたものだとしても素敵だと思う。
まず最初に、生きる意味なんて死ぬときに考えればいいだとか、そんなこと考えたって仕方ないだとか、生きる意味を見つけること自体が生きるということだと考えている人もいるかもしれない。もしくは、死に拒否反応を感じる人もいるかもしれない。例えば、死にたいと嘆く人にどうしてそんな悲しいことを言うの?と思う人もいるだろう。考えなんて人それぞれだ。
私はそのように死を遠ざけている人がとても羨ましい。死を嘆く人を否定的に思えるのは、生きることに意味を見出せている証だと思う。少なからず、まだこの世界で生きていたいと思えているからなのかもしれない。もちろん全員そうだとは限らないが。
でも、生きる意味なんて考えたことがないと言える人生のほうが、上記のような人のほうが、健全で健康だと思う。だから私はそういう人生を歩みたかった。
私はいじめなんて無縁な学校生活がよかった。人と話すことが得意で好きになりたかった。可愛い子になりたかった。聡明な人になりたかった。親友が欲しかった。家族の期待に応えられる子になりたかった。自信が欲しかった。好きだと思った人に告白できる人になりたかった。小説家になりたかった。イラストレーターになりたかった。先生になりたかった。自分のことを好きになりたかった。死にたいなんて考えたことがない人生がよかった。生きたいと思いたかった。叶いそうもない願望はいくらだってある。
死にたいという考えは高1のころからあるが最初はそう思うことは、特に親に対して罪悪感を感じていた。今ではなんで産んだんだと思ってしまう。ここで言っても仕方ないけれど、ごめんなさい。
理性で抑えられないくらい死にたいという感情は大きくなってしまった。
それから私は生きたいと思うためにはどうしたら良いのかを考えた。生きる意味を見出そうとした。
読みたい本も見たいアニメ映画ドラマも聞きたい曲もたくさんある。美味しいご飯を食べるとか、行きたいところだってある。楽しみは探そうとすればいくらだってあった。
でもどうしても私の将来は暗闇に感じてしまう。過去現在未来どこを切り取っても絶望感や不安に包まれていて、生きづらさに囲まれている今この瞬間に消えたいと思ってしまう。
そういう考えは弱くなったり強くなったりするけれど、この数年間薄らと心に広がる死が消えたことはない。
そこで考えが変わったことがある。
別に生きたいと思えるようになる必要はないということ。死にたいと思っていい。そこに罪悪感を覚えなくてもいい。
死にたいと感じたまま死んだように生きたっていいということ。
無理に前を向く必要はないということ。斜めでも後ろでも、止まっていてもいい。
生き方に正解なんてないよ、と言う人もいるだろう。でも自分自身の理想の生き方があってそれを正解としている人は多くいると思う。そのような人は、人生における正解はあるんだと思うかもしれない。けれど、間違えた人生を間違えたまま歩んだっていいということ。
好きにならないといけないことなんてないということ。どんなこともどんな人も嫌いでもいい。感情も思考もどんなことであろうと捨てなくていい。そのままのあなたが私は好きだ。一方的な願いに過ぎないが、ありのままの感性を大切にしてほしい。
このままの自分でいいと飲み込むことができたとき、きっと生きることがもう少し楽になるということ。
どれだけ汚れていたとしても、いくつ欠けているものがあるとしても、勘違いだったとしても生きているこの世界を美しいと思い込むことができたとしたら、それはとても素敵だなと私は思う。
きっと私から死にたいと思う気持ちがゼロになるときは訪れない。それに死は救済だと思っているが、ほんとうに死ぬ勇気はない。
だから私は上記のような考えを持ちながら、これからもなんとなく息をし続けてしまうのだろうと思っている。ではまた。