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『猫と針』を読んだあとに
恩田陸の小説が好きだ。
それは高校生の頃に『六番目の小夜子』と出会った時からずっと変わらないし、新作が出る度に大体の作品は読んでいると思う。
とはいえ、中にはいまいち好きになれないものもあるし、そもそも作者本人のことはよく知らないし、冒頭だけ読んで放っているものもある。ましてや新刊の発売をチェックしているわけでもない。
本屋に寄って新刊の棚で気付かなければ読んでいないことはままある。そして、
『ピンクの象を考えない』を読んで
“大塚加子は目を覚ます。彼女は十五歳である。”
果たして、これは誰の物語であろうか。
最後まで読むと、新城優姫の物語のようにも読める。
概ね大塚加子の物語の体裁で進んでいくが、じゃあそれはどの大塚加子なのか。もしくはどの新城優姫なのか。
「人をやるのが――」( https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11892720 )の時と遠からず近からずだが、あち
『お赤飯を炊かないで』を読んで
一目惚れしたことはありますか。
だいたい一目惚れってなんですか。そんなもの本当にあるんですか。米のことなら知ってるけど。
運命だとか、偶然だとか、そういうよくわからない不確定な要素を取っ払って、もし一目見た時に尋常でない好意を抱くことがあるとして、それは一体どんな根拠の元にそう判断されたのかとても気になる。
そして、一目惚れで両想いの対魔忍と一般女子の恋愛とは一体どういうものだろうか。
お赤飯。
大切な人はもういない
今日は2020年6月16日。
あの人が生きていれば42歳の誕生日。
大好きだったあの人の誕生日。
もう歳を取らないあなたに、5歳差が少しずつ近づいていく。
私はあなたが死んだ年齢まで生きられるだろうか。
好きとか愛してるとか、そんなの言えるかいな重力無視して歯が浮くわって思うのかもしれないけど、一番大切な人には言おう。逐一言おう。直接言おう。いや、電話越しでも文字でもいいから。言えなくなった時に必ず後悔する。毎日言ってたって後悔するんだから。もっと言えばよかったって。ね。言おう。
『人をやるのが一回目』(不璽王・作) を読んで
始まりの人はどこから来て、終わりの人はどこへ行くのだろうか。そもそも、始まりの人は終わりの人なのではないか。終わりとは何か。
私はあなた、あなたは私。私は全、そして一。
手塚治虫の『火の鳥』を読みながら、考えたことがある。
もし、命が転生を繰り返すのなら、一つの魂があれば済むのでは?と。場所を超え、時空を超え、形を超え、あらゆる生命は、生と死の反復運動を繰り返す。
そこに意味はない。反復運動を続け
人の人生を笑うな 〜JOKER〜
少々遅ればせながら『JOKER』を観た。
最後まで観終わり、映画館の電灯が点いて最初に出た言葉が
「ひどい映画を観た」
だったので、ひどい映画の感想として書きたいと思います。
※ネタバレあり。
マーベルが陽、DCは陰、というようなイメージでざっくりと一般論的に語られることもあるアメコミ(原作映画)ですが、それはあながち間違ってはいないところだと思う。
絶望の中に希望を見付けることがマーベル的
記憶にないことはなかったことになるのかどうかと問われれば、そんなことはないと答えたい。
映画『記憶にございません』を観た。
なんとも言えないが、今これをやるのか、という驚き半分、呆れ半分といった趣である。
群像劇としては最高に面白い。と思う。
なにより、俳優たちが大袈裟に役になりきっているタイプの映画としては、そのケレン味が充分すぎるほど発揮されている。
むしろ、ある意味で演じることが仕事であろう政治の世界を舞台にしたことと相まって、真面目に演じれば真面目に演じるほど面白いコメデ