俺たち、まだやれるよね(7月エッセイ①)

就職して社会人として働き始めて3年目の夏。最近、改めて俺という人間は何をやっても慣れないうちは必ず失敗するんだなと感じる。学生時代やアルバイト、もっと言えば今までの人生全て、失敗や間違いが付き物だ。

そして同様に俺という人間は失敗してから少しずつ成長していくということも自覚している。

社会人として働くということはアルバイトのそれとは全く違う。生きるためにはお金が必要で、そのために責任を負いながら、努力をしながら、悩みながら、心身を削りながら働いている。

就職してから初めて他の職種について気にするようになった。もし学生時代に戻れるなら、もしこれから転職するなら、自分はどんな仕事ができるだろうか。正直今の仕事が嫌で嫌で逃げ出したい気持ちが強かった。他の職種ならこんな思いはしなかったのではないかという思いが正直ある。

先日、出張で様々な企業の社長によるプレゼンテーションを聞く機会があった。それぞれの社長の経歴は華やかなものだったが、話を聞くと並大抵ではない努力と情熱ゆえのものだった。

企業に就職するという考えは学生時代からほとんどなかった。利益や数字を出すということが自分には向いていないような気がしたからだ。今回のプレゼンを聞いて、改めて俺には向いていないと感じた。それと同時に、今の仕事を選んでよかったのかもしれないとも感じた。

企業に就職した友達と久しぶりにゆっくり話す機会があった。彼は営業職なのだが、最近あまり成績がよくないらしく、それが給料に反映されるためしばらく節約して生活しなければならないという。俺はハッとした。俺の職業の性質上、よっぽどの不祥事を起こさない限りは身分も給料も保証される(もっとも仕事ができないとお荷物でしかないのだが)。

自分が当たり前に思っていることが実は恵まれている。逆に当たり前に思っていることが過酷なこともある。

どの職業にも独自の大変さがあるのだろう。俺は営業マンの愚痴を完璧には理解できないし、彼もまた俺の気持ちを完全に汲み取ることは難しい。

最低限の生活が送れたらそれでいい。そう思っている節があるのだが、何かしたいことがあるというわけでもない。

好きなことはいっぱいある。趣味にはお金がかかる。社会人になって学生時代のアルバイトの給料ではシフトを大量に入れないと稼げなかったお金が毎月入ってくる。心身をすり減らした分、またエネルギーを補給する。

これが働くということであり、生きるということなのか。俺にはよくわからないが、こんなことをぼやいている内はまだ余裕があるのかもしれない。

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