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懐かしい | シロクマ文芸部

       

なつかしい 



 「懐かしい場所だよ、このウクライナ軍用空港は」
 大型の兵士輸送車に詰め込まれ、次の侵攻拠点へ向かう途中、誰かがそう言った。ロシア兵の汚れた迷彩服が、互いをつつき合い、風にそよぐ穂波のように揺れた。無言であったが、男たちの汗の臭いがひときわ強く立った。
 あらためて窓外に目をやる。そう、二年前の2022年2月24日、わが軍がウクライナに侵攻した際、俺も作戦に参加したのだった。胸のうちが驟雨に洗われた。森の枝が、葉が、ざわざわと泣いた。敵兵だけでなく、一般人をも殺傷しかねない攻撃に手を染めたのだ。
 先ほどの声は何を言いたかったのだろう。空耳?「過去への親近感」だなんて、よくも言えたものだ。首根っこをつかんで殴ってやりたかった。むろん、できっこない。輸送車の乗員だれもが、悪路に跳ねる車に揺られ、うつむき、それぞれの思いに耐えているに違いない。
「まがまがしい侵攻に、二年後のいま直面し、俺は、浅ましい、いがいの思いを持てない。
 やり場のない憤りを感じた。嘔吐感が食道を駆け足で遡ってくる。
 ふぅと少年時代の記憶が蘇った。自分勝手で情けない行動が招いた事故。弟と自転車の二人乗りをして、田舎道を全速力で漕いだ。遊び疲れ、腹が減って、ママが焼いたクッキーを早くいっぱい食べたくて、超特急で走った。結局、畑の用水路に落ちて、弟の足をくじいてしまった。
 弟は泣いた。激しく泣いた。しかし、怒らなかった。一言も責めなかった。まなざしは、ただ「おねがい」と哀願していた。俺は、何も考えず、夢中で行動した。ママに相談し、病院に連れて行き、一生懸命、看病した。弟は、信じられないほど早く快癒した。
「おにいちゃん、ありがとう」弟は八重歯を見せた。
 俺はこわばって頷いた。その夜、蒲団をかぶったら涙がでた。
 弟の口もとに今は八重歯はないが、そのあたりを見る度に、なつかしい。
                            〈了〉                                       



※小牧部長様
よろしくお願いたします。  


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