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リハビリ空間の劇場化|エッセイ『どんでん返し』実践、フィクショナルな日常空間づくりのためのクリエイティブ活動の一端。

①デイケア職員をモデルに起用して、時代小説を書いた。

 それを素人歌舞伎というフィクションに仕立て、脳裡で遊ぶ。介護職員には、刹那のストレス解消を、ご利用者には脳トレ効果を与えることができたか?

②デイケア職員と利用者の似顔絵を描いた。

 リハビリテーションの考え方をキャッチフレーズにした。
いのちの、連鎖。

③朝一番、目に飛び込んできた〈幸せ〉や〈ヘナくそ〉をお題にして『リハビリ漫画』を描く。

 Aは、女性職員の額に懸った髪の毛のウエーブがアーティスティックだったので、いただいた。そのキビキビした動きに比べてご利用者さんたちの、優雅な所作、もちろん、彼女・彼らは、脳梗塞などの後遺症で、カラダの自由を余儀なく奪われているホモ・サピエンスである。
 負の身体性を突き付けられて、絶望はしていなくとも、悔しがったり、残念がったり、腹立たしかったりしているかも知れない。
 僕には、悲しいかな、見えないのだ。僕は、腹への圧迫をできるだけ少なくするため、椅子にふんぞり返って座り、ぼんやりしている。気分としては、〝諦念のドラム缶風呂〟に浸かって、汗をかいている風情であろう。そして、とんでもないことに、右脳と左脳で綱引きを始めている。
 右脳は、弁解がましく「俺が偉そうにのけぞってるのは、傲慢だからじゃないんですよ。病気なんです。普通に腰かけると、胃の辺りが圧迫されて苦しいのです。だから……」と言いながら、綱をぐいぐいと引く。だれかが「お前、偉そうな態度とってんじゃねえよ」と因縁をつけてきたら、どうしよう。うまいこと説明できるだろうか。冷や冷やしていたのだ。
 一方、左脳は腹だたしげな様子で、声に怒りがこもっている。「くそったれぇ、なんで私はこんな阿保なんだろう! いまにも吐きそう。おっとっととっと、嘔吐寸前、それでも出ない。涎が垂れ出でて、ロカンタンが思い出され、『嘔吐』がさし出され、サルトルが出現した。まるで夢を見ているようで。てめえのノータリン性にガツンと腹が立ち、呪文のように怒鳴りながら、綱にひきずられている。
 パーキンソン病患者の僕は、今日は「薬切れ」がけっこう早い。次の服薬時刻は午前十時なのだが、九時半の現在、かなり頭が重く、吐き気がするのだ。綱の中央に結ばれたリボンが右脳の方へずりずりずりっと移動した。
 勝負のケリがついたとき、右脳も左脳も気づかなかった現実に、僕は気づいた。右脳と左脳、性質は異なるが、活動の基準はひとつであった。言うまでもなく「負の身体性」。現象がもつ隠された事実を発見することもまた、異世界へ通ずる道なのだと知った。

A


※鉛筆書きの下絵は、午前中のリハビリの合間に素早く描く。色杖は、自宅で塗り、仕上げる。

B 某デイサービスの女子職員、ずっこけ4人組。各人のアニマル・プリティ・ネームカード。



C きょうは松尾芭蕉の日。


E



F 生成AIと手描きで、そっくりに描けて皆で大笑い。表紙も本物みたいに仕上がった。拍手をいただいた。うれしいね。



G


H  作品展示









































































 


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