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吸血美少女 Pretty Vampire 1

目次

①AIボーイの
 
② 吸血ワークショップ
 
③ AIボーイの血は赤くない
 
④ 准教授の吸血はセクシー
 
⑤ 無限情報派? 不老不死派?

①AIボーイの弾き語り 
 
♪♪    

  夏の夕暮れ 蝉しぐれ

  きみは ふと立ちどまり

  口もと愛らしく

  あかね色に染まれば

  チャーミング チャーミング

  好きになったよぉ 

  ドリンクタイム ドリンクタイム

  タイミングよく

  ドリンクタイムを きみに―

  ウオォー オー

  命のドリンクタイムを

  いま きみにー イエーイッ

  ずっと きみにー

  イエイッ


 ラズベリー学園高校の中庭には、春夏秋冬いつでも花が楽しめる小径がある。ベンチに腰をおろし、アコースティックギターをつま弾きながら歌っていたのは、AI倶楽部のサブリーダー佐井昴久(さいぼうぐ)だ。

 ちのたんが近づくと、ピックでじゃらーんと弦をはじいてから声をかけてきた。

「いいお天気だっていうのに、相変わらず恐い顔しちゃって何かあったの?」

「AI倶楽部って、ほんとお気楽ボーイばっかしね。今夜は満月なの。〝ドラ研〟とっても忙しいのよ。おあいにくサマー」

 ちのたんは、アヒル口をとんがらせて佐井をにらんだ。そのフェイスがまたかわいい。ウーパールーパーに負けてはいない。彼もデレリンコ状態である。

「なんだかんだ言っても、おれのオリジナル・ラブソングに痺れちゃったんだろ。人間、正直にならなくっちゃあ、かわいくないよ。 おれのこと、好きなんだろ」

 ちのたんはハートのなかで「ヤバイぞ」と呟いた。

 佐井がまたジャン・ジャンとギターを鳴らした。

「おれの『命のドリンクタイムを君に』は、ちのたんだけを想って、グローバルな〈大規模音源コード・モデル〉を駆使して作曲したんだから。おれに惚れちゃうの、当たり前だよ」

 ちのたんは、 佐井の魔法に引っかかったのか、いつの間にかベンチに腰かけていた。

「今夜はドラ研・満月の夜会ワークショップが開催されるのよ。テーマは〈吸血実習〉。確か、AI倶楽部もゲストとして何名か招待されているはずよ」

「あっ、いけねッ。おれ、吸血ワークショップのゲスト参加者だった。すっかり忘れてた、ごめん、ごめん」

 佐井は元気がでてきたのか、カッと目を見開き、ギターを肩にかけたまま、両腕を空へ向け高々とあげ、照れくさそうに歯を見せた。

 実をいうと、ふたりはいちどデートをしたことがある。ホントはディズニーに行きたかったのだけれど、色々な都合でマックのバーガーで我慢した。互いによく知らないけれど、ちょっと惹かれ合っている。
 ドラキュラ研究会の夜会が始まるまで、時間があったので、昨日から気になっていることを片付けてしまおうと、部活・サークル棟の部屋に行った。気掛かりだったのは、投稿サイト〈note〉のクリエーターが投稿した記事であった。クリエーターの問いかけに生成AIが回答しているものだ。

『 「知識としての幸福」と「実感・肉感・経験としての幸福」の対立。人間とAIの幸福には、知識と実感の違いがあります。AIは知識を持ち、論理的に考えことができますが、感情や喜怒哀楽を直接的に経験することはありません。一方、人間は感情を持ち、喜びや悲しみを実際に感じることができます。この違いは、幸福についての理解に影響を与えます。

知識としての幸福は、幸福についての理論や哲学的な考察を経て得られるものです。
一方、実感と肉感の幸福は、日常の経験や感情から生まれます。   』

 ちのたんは、何度も何度も読み返した。けれど、頭の回路がうまくつながらないのだった。パソコンのACコードが絡まってしまうように。

 整理するために、タブレットに文章を打ち込んだ。

『CoPilot さん、あなたは〝知識としての幸福は、幸福についての理論や哲学的な考察を通じて得られる〟という。あたしの頭は論理的でないから~これまで生きてきた十七年間、どれだけマンスプレイニングされてきたことか~ちのたんが単純にいえることは〈そもそも知識としての幸福なんてこの世の中にあるの?〉という大きな大きな疑問ボールなの。大人がバランス運動のために乗っかるくらいの大きさの……』ただ、 堪えがたい冷え冷えとしたものが、 骨と皮ばかりになった身体をみたした。

 小学三年の時、お兄ちゃんの自転車の後ろに乗っていて、コンクリート造りの用水路に転落し、大怪をした。生まれて初めて目にする血液の量であった。〝死〟がとても近い場所にあるもののように感じられた。動物園で、柵のすぐ向こうに百獣の王ライオンの恐ろしい牙が待ち構えているようなものだった。

 以来、ちのたんは死を怖れ永遠の生命にあこがれ、血に親近感と嫌悪感のない混ざった情動を覚えるようになった。

 そして、いつしか幸福と死の境に線を引くことができなくなった。中学校卒業真近の 日記にこう書いた。

『私にとっての〝幸せ〟の定義とは「死んでもかまわないと、思わず感じてしまう刹那」だと思う。定義できるかしら。もちろん、現実に死んでしまう必要はないけれど……』

 ちのたんが〝幸福の刹那〟を表現していると考える文学作品がある。三浦哲郎の『みのむし』という短編だ。たまたま河出文庫『小川洋子の偏愛短篇箱』で見つけた。。

 老いて呆けて、人の声も、顔も、あやふやになった夫・爺さまとこれからもふたりで生きていくことは不可能だと判断した妻の老女は、畑の樹木に己を吊ってはてた。翌朝、爺さまは、木にぶら下がった大きな物体を、妻の息絶えた姿とは認識できず「でっけえ みのむし」と思い、立ち去る。ちのたんは胸の内で反すうした。どう考えても、これを幸福以外のものとは考えられなかったのだ。

 月のひかりがいつになく蒼褪めていた。
 これから始まるドラキュラ研究会主催による『吸血ワークショップ』への期待と不安が渦まいているようである。
 第二話につづく。


#創作大賞2024

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