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あなた専属のリハビリ・シェフになりたい


デイケア仮称〈ケアパーク・桜咲き〉のスタッフを、楽しく、似顔絵で描いたでポスター。


〈note〉でも、ぼくは、たびたび次の二項を唱えてきた。躰に麻痺或いは不具合のある進行性難病者たるぼくが、介護されてきた経験から導き出されたものだ。
①リハビリ関ヶ原。
②介護は格闘技である。

①は、介護する側とされる側の緊張関係を、より鋭くとらえようと思ったからの謂いである。リハビリ指導を受ける際、被介護者も全面的に介護者に身を委ねる行為は、じぶんの自由を選び取りつつ生きる〈実存〉の在り方とはずれてくる。リハビリという卑近な行為にあっても、ジャン=ポール・サルトルのいうように、何も始める前から「私のカラダは麻痺している」と無批判に承認するのではなく、介護者に対し、「あなたの理学療法的方法論では、例えばわたしの朝食時の味噌汁の味と微妙に調和しない。故に、再考してほしい」とか、発言することこそ、真実の自分をさらけ出すことにつながるのではないか、そう考えたのだ。
勿論、介護論、理学療法を学習せよと言っているわけではない。意識のベクトル性を問うている。
さて、社会への参加、関係づくりにおいて、ハンナ・アーレントも言うように「人は生まれた瞬間、世界との間に何らかの決定的擦過を発生するのであり、俗に言われるようには、自由は個人の内的に備わっている性向ではなく、他者とのかかわりで進行する。痴呆症、認知症については医学領域の生理機能的ベクトル性を掘削しつつ慎重な議論が必要となるが、ホモ・サピエンスを天然知能としてとらえ、論理を詰めていけば、必ずや回答はAIでなくとも生成できよう。人にとって大切なのは「生きる意味・意義」であり、心に深く問われるものであろう。この点に関しては、『夜と霧』を著したヴィクトール・フランクルと語らねばなるまい。 

②は、①をブレークダウンしてみたに過ぎない。PRIDEみたいな現代の総合格闘技を掌の載せたかった。

昨日のことである。朝、デイケアに到着したは良いが、薬が効かず足も動かず、苦しんでいたところ、近くの職員デスクでミーティングが始まった。僕は、ただ単に、レンブラントの『夜警』みたいな絵画構造にあこがれを抱いていただけのことなのだ。15分で鉛筆でラフ絵を描いた。家に持ち帰り、色付けして、次回、デイケアに提出した。
「久しぶりにいい出来じゃない」と、理学療法士チーフが笑みを返した。
ぼくは、うれしかった。
その感動は漫画に託されと思う。でも、心しなくてはいけない。
「わたしたちは、あなた方一人一人のリハビリの専属シェフになって、きめこまかくレシピを作り、調理し、リハビリの成果を共有し、家庭で自立して生活できるよう、努めています」ーー介護ビジネスとしてのコンセプトは微笑ましい。だが、こんな願いを1枚の漫画イラストが背負わなければならないとしたら、世界はなんて残酷なのだろう!

ぼくが、理学療法士や介護福祉士に望むのは、彼らが生得的に我がものとした技を、単に教育的に受け渡していただくことではない。柔道に良いことばがある。「乱取り」。真剣による勝負ではないけれど、身体が、事実・真実・真剣試合へと憑依していく。
心と身体が自分ひとりのなかで、テーゼ、アンチテーゼとして対立するにとどまらず、より立体的、トータルな事象の把握が可能となり、ジンテーゼとして社会性にも裏付けられたものとなろう。
『われ、思う。ゆえに、われ在り』デカルトに始まる、近代科学の枠組を築いた心身・物心二元論。今日その限界が云々されているけれど、身近な介護やケアの現場をじっくり見つめてみれば、カラダとココロは、単に器と中身の関係ではないことが、見えてくる。時に、精神というペットボトルに、身体という収容物或いは事象を流し込まねばならないことがあるのだと思う。最近のグローバルな情況を眺めていると、ウクライナ、イスラエルなどの動きからそれを強く感じる。心と、体、人工知能と天然知能、これからの時代、ホモ・サピエンスがなすべきなのは、これらの二項対立ではなく、交差、交通、行ったり・来たり、反転・変り身だと、難病患者は考える。
【便秘嘔吐頻尿睡眠不可手指振戦直立断念情動制御不可涎流出】(→A)という現象を生きるぼくの身体性に、ぼくは、どういう顔をして立ち向かえばいいのだろうか。彼らを、客観的な対象物として分析・解釈するしかないのだとしたら、あまりに哀しい。死に物狂いの嘔吐は、胃壁にへばりついて遺産の動向を伺いつつ、食道を「鯉の瀧のぼり」せよ。これが拙い、ぼくの方法論である。そのため、たぶん僕の課されているのは言語表現による、情況への反抗なのだろう。
そのようなトータルな意味で、ぼくは、

  生きる、総体としての、挌闘技

と、謹んで呼びたいのである。

※ぼくが最近〈note〉で連載を始めた[連載 Fantasy Action 『夢あわせ~理学療法戦士サリー~ 』]は、その実験的な作品と言えよう。主人公は、20代を終えようという、理学療法士・風巻紗里=サリーは、修道院で世界を人生を学んだ。そして銀河系リハビリテーション・アカデミーの要請により、中東へタイム・スペース・トランスポートする。そこは中世ビザンチン、キリスト教とイスラム教がはげしく勢力争いをしている渦中であった。1096年第1回十字軍が、エルサレム奪還を掲げて遠征に出発した。サリーと、バディー・従者・ハンロックは、十字軍に従軍する。理学療法士として負傷した騎士を手当てし、年老いた農村の人々とのふれ合い治療活動を通して、介護やケアの身体性と精神性の原点を追求したい。うまくいく保証はないけれど。ご興味のある方はお目をお通しださい。
20450905


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