外から見る日本と日本人~日本の中から見る世界と日本の外から見る世界(1)中国から見る日本
(写真)下半分は大阪。上半分は中国・新疆ウイグル自治区・烏魯木斉(ウルムチ)。1997年9月、大阪からの船「鑑真号」で上海へ、さらに列車で烏魯木斉へ。フィルムの不調で偶然上のような写真が撮れた。
ややこしいタイトルですが、自分の見方・感じ方をできるだけ正確に伝えようとすると、こうなります。
僕が長い旅行へ出た90年代後半はバブル経済は崩壊したものの、まだまだ日本が経済大国と言われていた頃で、GDPはアメリカに次ぐ世界第2位でした。現在は中国に抜かれ3位ですが。
つまり、日本は国際的にも地位を確立した立派な国だと思っていたのです。
え、そうじゃないの?と思われるかもしれませんが・・・。
確かに、経済的な面では、外国のどこへ行っても、日本は一目置かれています。どこへ行っても、トヨタ、ホンダ、と言われます。
しかし、それがほぼ全てと言うか。
日本人はよく働くエコノミックアニマルで、細かい製品を作ってお金を稼いで経済的に成長している、That's all,といった感じでしょうか。
『おしん』が世界的に有名になったり、相撲とか歌舞伎など独自の文化が注目されたりもしますが、国際的な理解としては、日本人は働くばかりで面白くない人種、と思われていることは間違いないようです。
戦争中は国を挙げて戦争に邁進し、戦後は武器は捨てたが企業戦士となり、ただただ働き続ける。そんなイメージのようです。
↑北京・天安門広場。1995年5月。
↑チベット・ラサ・ポタラ宮殿。1995年5月。
世界地図というのは、発行した自国を中心に位置付けるため、欧米の世界地図では日本は端っこに位置していることは知られていますが、
中国で、世界地図、というか、中国を中心としたアジア全域の地図が博物館に貼られていて、それを見ると、これは僕の見方に過ぎないのかも知れませんが、日本は当然端っこに追いやられていますが、それだけでなくて、
何か、日本列島という場所が、中国の領土内の僻地であるかのような描かれ方に見えたのです。
実際、歴史的には、邪馬台国は中国の魏王朝に仕えていたようですし、日本から見た中国は長い間、文化的にも文明的にも先を行く存在であり、中国の歴代王朝の中には朝鮮半島支配を目論んだ政権もあり、元の時代には周囲のアジア諸国をも支配し、日本へも攻め込んで来ました。
実際、台湾は中国にとっては台湾省という中国内の一地方であり、地図にはそう描かれています。
周囲の日本列島、朝鮮半島も、同じような一地方(日本省?日本自治区?朝鮮省)としての扱いのような、この場合は決してそうは描かれてはいませんが、そんな意図をうっすらと感じるというか、そう映る地図の配置の仕方というか。
↑中国・北朝鮮国境附近の丹東・鴨緑江。1995年4月。
↑中国・ネパール国境。1995年6月。
チベットへ行くのに、中国人を装ってローカルバスに乗ったり、日本人旅行者は欧米人と違ってそのようなことができるわけですが、そんな時は、自分が中国の中の一地方の人間になったような気がしたものです。
実際、上海などで、ウィグルから来たのか、などと聞かれたこともあります。
「新疆人(シンジャンレン=ウイグル族)」「西蔵人(シーザンレン=チベット族)」「日本人(リーベンレン)」という言葉が、同列に響く感じがしました。
↑中国・アルタイ(カザフスタン国境近く)1997年9月。
中国にとっての日本は、戦時中の敵国であったとの意識も強く、テレビや映画なのでも日本や日本人は残忍に描かれていますが、
それよりも何よりも、中国の田舎だ、というような思い、何世紀も前からあった意識(中華思想?)が現代でも続いているのかも知れません。
↑上海・南京東路。1996年10月。
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