推しが死んだ
いつかこの日が来ることは、すでに覚悟していたつもりだった。
CLIMAX TOGETHER 3rdが横浜アリーナで開催された頃、雑誌のインタビューだったか会報だったか定かでないのだが、「4thはどうですか?」といった質問に最年長のヤガミトールさんが「いや〜どうかな。そりゃあみんな元気だったらやりたいけどね。12年後でしょ?」といったふうな返答をしていたことに大変ショックを受けた。
その時私は初めて、「BUCK-TICKが当たり前に活動出来ていない未来」を想像した。
その当時の私は、消極的理由で選んだ人生を、諦めと不満と忍耐で埋め尽くされた日常を、ほんの数時間のライブを楽しみに過ごし、ほんのひととき、推したちの発するエネルギーに触れることだけが生きるということの意味だった。
「もしそうなったら、なんのために私は生きるの?」
私は自分に問いかけた。
「後追うなんてダサいこと、だめだよ。彼らだって望んでない」
自分の心の中の声にそう言われて、私は、彼らが元気なうちに、自分の人生に意味や価値を見つけて、ちゃんと自分で舵取りしないといけないのかもね、とぼんやり思った。
やりたいこともなければ、特技も才能ももちろんない。
15歳くらいから、人生から逃げながら生きてきた。
手帳にツアー日程やチケットの発売日、CD発売日や予約開始日、遠征時に使う交通機関の発着や泊まるホテル等の、推し活に関わる事柄を除けば、書き込むことなんてほぼなかった。
来月とか、今年とか、近い未来を考えた時に、考慮するのはいつだって推しの動向だった。
それが途絶える…?
そんなこと、考えたくなかった。
考えたくはなかったが、考えておかなくてはいけないことだった。
あるいは、呪いのように、頭の底にずっと澱のように留まって、ふとした時に浮かび上がり、攪拌され、思考の至る所にへばりつくのだった。
私はしばらくの間、答えを保留にしたまま暮らした。
2016年、JRの車内で、彼らの誰かが最初に死んだら、残された4人はどんな風に思ったり考えたりするだろう、と考えていたら涙が出てきて正面に座っていたお婆さんに心配そうに見つめられたことがある。
他に趣味でも見つかれば、とやってみたいことをリストアップしてみたり、実際にそのいくつかを実行したりした。朝ラン、ベランダガーデニング、超長寿海外ドラマ全編視聴など、側から見れば熱中しているように見えるような、中長期の趣味も持ったが、確かに日々の暮らしにささやかな喜びをもたらしはするが、とうてい、推しの代わりになるようなものではなかった。
「私は彼らのいない老後なんていらないから、全員に5年ずつくらい寿命をあげたい」
などと友人によく溢したものだった。
この年の誕生日、嫌なことにNoと言えず不満を持ちながらも何もできなかった自分を脱ぎ捨てるため、過去の自分はこの日で終わりだ、と一人密かに決めていた。
そして人生に”自分に軸を置いた価値や意味”を見出すために、「思いついたことはなんでもやってみる」ことにしだしたのもこの頃からだ。
そのうちの一つに、海外暮らしがあった。
ツアーに参加出来ないのはもどかしかったが、その年開催された30周年のアニバーサリーライブには一時帰国し、年末の武道館までには帰国した。
推しと離れて暮らす数ヶ月は、色々な意味でかけがえのないものとなった。
様々な国から来た、様々なバックグラウンドを持つ人たちと知り合い、その価値観の多様性に触れ、一度広がった世界観はもう元には戻らない。
出国以前の閉塞的な暮らし方は、もうサイズが合わなくなってしまっていた。
我慢しながら生きるなんてもう出来ない。
世の中にはまだ知らないことが溢れていて、それはまさに「世界は闇で満ちている」のと同じだ。
ーBUCK-TICKの名曲の一つに『世界は闇で満ちている』というバラードがある。作詞作曲を手がけた今井さんによれば、闇は見えないから何があるかわからない、未知ではあるが悪いものがあるとも限らない。一寸先は闇。何があるかはわからない。悪いことかもしれないし、いいことかもしれない。闇、それはつまり可能性だ、というのである。ー
私はこの曲を聞くと、先の見えない不安の中でも、自由に夢見て、自分らしく生きていい、そう言われている気がして勇気が湧く。
そして私は帰国してからいっそう、興味のあったことに次々手を出していった。
ボディメイクもしたし、転職もしたし、引っ越しもした。オンラインスクール、コーチング、資格取得などもやってみた。
全部理屈で「すべき」と考えたからではなくて、「やってみたかったから」だ。整合性などない。でも、それでいいと思ってる。いつかどこかで伏線回収のように繋がれば楽しいし、そうじゃなくても構わない。
何が起きても、何をしても、何が起こっても、本質的に「ダイジョーブ」なんだと思えるようになっていた。
思考の至る所にこびりついていたあの疑問、「推しがいなくなったら何のためにいきるのか」は私を導くお呪いになっていた。
そしてその疑問についてはひとつ、海外滞在中に確かな気づきを得ていた。
観光旅行だ。
たいそうな使命なんて、持ってないし、この先見つかるあてもない。そもそもそんなの誰も彼もが持っているものでもなかろう。
ビザの半分を一つの街で終えようとしていたあの日、まるで自分の人生だと思った。時間はたっぷりあるようで、有限だ。いくつもの街を渡り歩くつもりで来たのに、もうすでに半分を一つの場所で過ごしてしまった。いつか行こう、そのうちやろう、と思っている間にも時間は過ぎていく。そうして、何しに来たのか、一番の目的は何だったのかと、ある時急に焦り出す。入国審査でなんて言ったっけ。
ーsightseeing
ああ、そうか。それだったんだ。「人生は旅だ」なんて散々使いまわされたフレーズだったし、全然ピンと来ないと思ってた。
ところが観光旅行で旅程80〜120年くらいのビザで、この現世に来てるとしたら、なんだかものすごくしっくり来た。
SFドラマが好きだった。タイムトラベルに興味があった。なぜ出来ないんだろう。なぜ未来人の観光客が来ないのだろう。ずっと不思議だった。それに対する回答として、ネットの掲示板で見かけたなかで気に入っている回答は
「タイムマシンが発明されたとして、まず初号機は未来方向にしか進めない(時間を遡るのは膨大なエネルギーが要るから)」
「次に過去方向に向かうタイムマシンが作られたとして、未来行きですら未開発の現代は遠すぎて辿り着けない」
というものだった。
その後、次元や宇宙の解釈が様々な研究結果によって通説が変化していくのを時々調べて知るのが好きだった私は、どうやら次元は6〜9次元くらいあると計算上おさまりがいいらしいとか、ユニ(唯一の)バースではなくマルチ(多面)バースであるとか、ホログラフィック理論だとかを知り、可能性の一つとして考えるようになった。
私たちが知覚できるのは3次元×時間の4次元なのは言うまでもないが、その上の5次元はどのようなものだろうか。例えばノートの紙面は2次元だ。そこにパラパラ漫画を書くと、2次元×時間の束ができる。3次元の私たちはそれを手にとってパラパラめくることも出来るし、特定のページに遡ったり飛ばしたり出来る。
3次元空間×時間と言う”時空”とかいうシートのようなものの上に私たちはいるらしい。このシートをたぐったりなんだりして、特定の時空間にアクセス出来る存在がいるなら、それは5次元より高次元にいるということになる。
映画『インターステラ』のセリフで「愛が測定可能なら、愛は時空を超える」と言うものがある。かなり科学寄りとされるこの映画の中で急にロマンティックな非科学的な表現とも取れるセリフだ。私は科学もわからなければ、愛なんてもっとわからないからこのセリフの真実味は感じにくいものだった。
けれども、もし、「想いがー」と置き換えたらどうだろう?
例えば手紙。手書きでもデジタルでも、そこに書き手の想いが見えるようなものか、上っ面で定型分の寄せ集めなのか、自分とその人の関係はどうなのか、色々な条件が揃えば、それは時空を軽々と超えてくる。いつ書かれたものであれどこで書かれたものであれ。個人間の手紙に限ったものではない。誰かの残した手記や、デッサン、歌なんかもそうだ。
ずっと博物館や美術館や、オンラインサブスクのクラウドデータの中にアクセシブルな状態で待っていて、受け取り手の経験や心理状態など条件が揃った時に、意味や価値がズンと落ちてくる瞬間がある。
言葉は、文字や音に過ぎないのに、時に人を動かすのは、想いが乗っているからだろう。
想いって何だろう。
想念、などというとにわかに嫌な気持ちになるのはあの忌まわしい事件を知っている年齢の日本人だからだろう。
しかし多くの宗教が、愛だの祈りだの人の思考の中にある目に見えない何かを指して何か特別な力を持つかのように説き信じられているのは、単なる偶然じゃない理由があるように思う。
想いは計測できないが、エネルギーを持っていて、経年劣化することもなく、働きかけてくる。それによって動くのもまた人の想いや、感情で、それらによって私たちは肉体を動かし、生命活動を行う。
食事や、飲み物だって、愛や想いがこもっているか否かでなぜだか違いがある。
昔、ある紅茶屋さんで茶葉を買う時に店主がこんなことを言っていた。
「温度がどうとか何分蒸らしてとかね、そんなことより誰かに淹れてもらうこと。これが一番の美味しさの秘訣です。」
その時の店主夫婦の笑顔を妙によく覚えている。仲の良い老夫婦の良い笑顔だった。
確かに紅茶もコーヒーも、人に淹れてもらうと同じ茶葉や豆でも数倍美味しく感じる。毎朝のコーヒーを職場のコーヒーマシンではなく、スタバでラテを飲んで10分ばかりの朝活をしただけでその日1日の活力が違った。単なるカフェインの効果だけではない、何かを一緒に受け取ったのだと考えてもいいのかもしれない。
もしもこの世がホログラフィックだったとしたら。
5次元6次元の世界から自由にアクセス出来るなら。私だったらどんなふうにアクセスするだろう?
しばらく眺めたのち、ログインしてみたいと思うだろう。
一つ下の次元、3次元。3次元のルールに則り、肉体を持ち、時間の流れは操作できない。肉体は最初の数年で急成長し、20年を過ぎると緩やかに劣化し、期限はおよそ80年。知覚できる感覚に限界はあるが個人差もある。一度ログアウトすると基本的に同じ時空上の点に戻ることはできない。
私はあらゆる制約を了承した上で、自分の選んだスペックを持つ肉体に乗り、この世界に遊びに来た。
肉体を持つ限り、触ったり、暑い、冷たいなどの感覚がある。痛みも苦しみもあるが、自然の中で風を感じたり、土の上に立ったり走ったりできる。同じように滞在している他者と関わったり、交流を楽しむことができるし、過去の訪問者が残した芸術などの作品を楽しんだり、自ら何か生み出すことも出来る。
様々な制約はあるけれど、せっかく来たんだから楽しんで帰りたい。
そう思うと、ずっと握れなかった操縦桿を、自分で操作したいと思うようになっていた。自分で、自分の人生を生きて行きたいと思った。
推しのステージを見つめる時間ももちろん好きだ。
でもそれが全てじゃない。
日々の生活は、諦めて我慢することではなく、やりたいことをやって、好きな人と過ごして、それだけでちゃんと幸福でありたい。
私はいつか、彼らの誰かがいなくなっても「私は、ちゃんと自分で幸せに生きれるようになったから大丈夫。あなたのおかげで、自分で自分を幸せにすることが出来るようになった。ありがとう」そう言いたくて、この数年を生きてきた。
2023年1月24日の豊洲PITで、久々の良番を引き当てた。
その日、私は最前列のギリギリセンターブロックにいた。櫻井さんの愛猫くるみちゃんのプリントされたTシャツを着ていた。
「獣たちの夜」と言う曲で、正面で、猫の真似で威嚇する姿、白い太腿を惜しげもなくファンにみせる姿が脳裏に焼きついている。綺麗で、優しくて、本当に美しいあの姿。
あの日を境に、私は自分の人生にそろそろ本気で軸足を移そうと決心した。
これが最後でも、悔いはない、と思うほど幸せだったから。
数年前から、ライブの最中に心ここにあらずの状態になるようになっていた。
熱狂して、ステージを見ることや音を聞くことに全神経を注いでいたかつてのようではなく、見ているようで、見ていない。聞こえているようで聞こえていない。未来や過去を彷徨っているような、不思議な感覚に陥ることが多くなっていた。
それはつけっぱなしのテレビを見てるようで見ていないのとはまるで違う。
何か瞑想に近い不思議な感覚だ。
いつも遠い世界へ連れて行ってくれる彼らだが、ついに異次元を見せてくれていたのかもしれない。不快さも物足りなさも無かったが、以前のような楽しみ方ができていない違和感を感じていた。もしかしたら違う関わりかたをしていくフェーズに来たのかもしれないと思った。
もうそろそろ、一度離れて、自分の人生を生きて、また戻ってくるのでもいいかもしれない。自分の推し活をそんなふうに考え始めていた。
ただ、一点の懸念は、私も彼らも、限りある命を生きているということ。
離れたら、二度と観れないかもしれない。
それでもいい、なんて、思えるわけがなかった。
思えないけど、時間がないからこそ、早く私は自分の人生を何とかしたかった。
かつての私は「推しのライブに行くために生きていた」
命を捨てることもなく、生きることに希望を見出せたのは、彼らがいたからだった。
彼らの音楽は愛に溢れていて、生きる喜びを教えてくれる。
だから私は生きてこれた。
そしてこんなにも幸せな気持ちにしてくれる彼らに何ができるだろう?
と色々と考えた。
グッズを買ったりライブに行くこと?ファンレターで想いを伝えること?
思いつく限りのことをしながら思い至ったのは、私自身が私を幸せにすることこそが、私が受け取った最高の幸せに、唯一報いる方法だということだ。
今の私は彼らの音楽に背中を押されてようやく人生の舵を切るようになったところだ。もう一歩頑張れば「ありがとう。私はこんなに自分を幸せに出来た」と胸を張って報告できる気がしてた。
でも、間に合わなかった。
伝えたところで、自己満足なのはわかっている。
でも、人生を投げやりに生きていた一人の人間が、あなた方の発する言葉や世界観によって、勇気づけられ、励まされ、どれほど幸せに生きられるようになったか伝えたかった。
大切なライブの最後に
「どうか幸せに」
と言ってくれるあなたに。
「自分を愛しましょう」と繰り返し言ってくれるあなたに。
それができるようになったと、伝えたかった。
ありがとう。
本当にありがとう。
想いは時空も次元も超えると信じて、今この文章を書いている。
自分の人生に軸足を移すと言いながらも、まだ本数を減らしながらもライブには足を運んでいた。ぐずぐずしていた私に、もう次に進みなさいと背中を推してくれたのかもしれない。
10月19日は誕生日だった。
7年前、古い自分に別れを告げた日だった。
同じ日、人生で最後の推しと決めたBUCK-TICKの、櫻井敦司さんが亡くなった。
今回のファンクラブ限定ツアー中で唯一参加予定だった横浜公演だった。
いつもより弱い声、それでも、3曲歌ってくれた。
あの日最後の歌声を聞けたこと、本当に幸せだと思ってる。
あの声をこの鼓膜で聞くことがもうできないと思うと涙が止まらない。
訃報を聞いてからかれこれ10時間以上ずっと泣きながらこの文章を書いている。
私はちゃんと、私を幸せにするから、どこかでずっと笑って見ていてくれたら嬉しい。
たくさんの幸せを本当に本当にありがとう。
愛を込めて
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