直感と霊感
noteを始めて3ヶ月。
noteには色々な表現の可能性を感じられますが、今回は軽めの雑談程度の話をしてみます。
以前どこかの記事で書きましたが、「意識」というのは元々一つであった…、そんな説というか、概念があります。
そしてその「原初の意識」は自らを万物に分割したと…。
それは「自分」という存在を感じてみたかったから。
「自己」は「非自己」がいて始めて認識できるものだから。
私たちは一人ひとり肉体を持ち「自我意識」でこの世界を体験していますが、意識は元々一つであるから、無意識レベルでは皆繋がっているとされています。
元々一つのなので、今まで体験してきたことの全てや、素粒子の動きの全てまでもが記憶されている「アカシック・レコード」といわれるものがあるようです。
また、意識の世界には「時間」がないので、私たちの物質世界で言う「未来」は”可能性”として無数に、そして同時に存在しているようで、次に何が起こるかということは無意識では自分でわかっているらしいです。
なので「直感」は誰にでもあり、思考過多の状態から感覚へ耳を澄ます習慣がつくと自然と磨かれていくみたいです。知らんけど。
『左脳さん。右脳さん。』という本を書かれたネドじゅんさんは、頭の中で目まぐるしく湧き立つ考え事から抜け出す手段として、意識をお腹のほうへ落としていく、ということを習慣としてやっていたようです。
ネドじゅんさんは、以前配達のお仕事をされていて、意識をお腹へ落としていくことを習慣としてやっていたらすごく直感力が磨かれ、そこで起こった不思議な体験を本で紹介されています。
そういうことを聞くと、やはり私たちは元々一つであり、全てが繋がっているんだなと感じます。
原初の意識とのつながりというか、ワンネスとのつながりが深くなればなるほど、次に何が起こるのかということを感じやすくなるのかも知れませんね。
「霊感」は霊・スピリットに感応できる感覚で、それにより超自然な能力(予知など)を発揮できるようになります。
多分「直感」の中にも「霊感」は含まれていて、別々のものではないとは思いますが、ここでいう霊感とは私のイメージですが、もう少し次元の低い荒々しいもので、基本的には小賢しいほど物事を言い当てたりするのは「直感」ではなく「霊感」だと思います。
それも低級霊の仕業でしょう。
例えば、住んでいる場所や家族構成を言い当てたり、中には家の間取りまで言い当てた人がいるとか。
このような”小賢しい”能力は低級霊に憑かれているんだと思います。
結局はどこかに人間っぽさが残るんですね。
「直感」はごく自然で、なんとなくそう感じたり、なぜか理由もなく確信したりできるものです。
では霊感と直感、どちらが当たるのかというと、人生の大事な局面では「直感」を信じたほうがいいと私は感じています。私はね。
もし高次元のガイドのメッセージの場合であれば、それはきっと微細なサインであり、まるで「直感」かのように思えるもので、なんとなくそう感じたり、「自由意志」の邪魔をしないものであると思います。
「日月神示」のような自動書記とかはどうなんでしょう。
国之常立神(クニノトコタチ)という高級神霊から、降ろされた神示を岡本天明氏が自動書記によって記述した「予言書」とされています。
かなりの高次元の存在が自動書記のような自由意志への介入を果たしてするのかという疑問はありますが、書かれていることは読む人の意識によって様々にとれるように書かれていて、その辺は高次元の存在のような気もします。
どうなんでしょう。
ま、ただの雑談なんですけど。
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