自分以外のものになろうとすること
薔薇は薔薇のままで美しい。
動物や植物は人間よりもずっと自然に従って命を表現している。
だから自然の循環には永遠性がある。
人間さえ介入しなければ自然は調和を壊さないのだと思う。
自然を壊すのはいつも人間の「不自然性」
人は常に自分以外へ意識を向け、
「あの人のようになりたい、あれを買わなければ、これをしなければ。」
と変化することばかり考える。
そうなるとどんどん自分の中にある自然性が損なわれていく。
この社会は、現状維持を認めない。
スポーツでも学問でも、テレビCMでも、現状よりもっと良い状態になることを薦める。
「今のまま」というのは怠惰なこととされる。
学校での勉強も、何教科も平均的に良い点数を取ろうとするのは不自然の極み。
だから勉強すればするほど自然性から離れていく。
その自然から遠く離れた極めて不自然な人達がトップにいく仕組みなのだから、不自然な世の中になるのは当然。
好きで勉強するのは良いことだが、競争原理の不自然さの中でする勉強は、自分というものをどんどん歪ませていく。
まるで自分以外の何者かになれと言わんばかりに。
自分以外の別の何かになろうとする苦しみを
「努力」という。
私たちはずっとそうやって教えられてきた。
そののままではダメなんだって。
薔薇は牡丹になろうとしない。
自分以外のものになろうとするのは人間だけ。
もし薔薇が牡丹になろうとしたとき、その薔薇は結局牡丹にもなれず、薔薇として生きていくこともできず、世を呪うことになる。
人生を悔やみ世を呪う人は、自分以外の別の何かになろうとしてきた人。
孤独で何をやってもうまくいかない人。
失敗ばかりしてきた人。
でもそんな失敗は失敗でもなんでもない。
自分じゃない自分で成功なんかしない方が良かったんだから。
薔薇が薔薇のままで生きようとする時、努力なんてしない。
勝手に好きにやる。
素晴らしいと周りが褒め称えても、本人は好きでやっているだけ。
そうやって生きれば、人生はうまくいくことを、変化を煽られ、努力を強いられ、私たちは自分の形を変えてきてしまった。
答えは外ではなく、自分の中にあるという原点。
なんだ、私のままで良かったんだ。
最初からこのままでよかったんだ。
そうやって別の何かになろうとしていた自分に気づいたなら、いつだって元に戻れる。
だってもともと薔薇だったんだから。
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