スヌーヌーの不思議な旅 vol.3 20240525 レポート/昼の旅
スヌーヌーの笠木泉です。
「スヌーヌーの不思議な旅」第3回目が5月25日、横浜市南区にあるスペース若葉町ウォーフで開催されました!若葉町ウォーフは劇作家・演出家である佐藤信さんが創作の拠点とされているアートセンターです。
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第3回、そのレポートをここにアーカイブします。
昼の旅〜雑談は「わたしのおすすめ」
夜の旅 2024年5月25日 14時から17時
参加者 13名
笠木泉、磯崎珠奈さん、川田希さん、中山侑子さん、はぎの一さん、大石将弘さん、赤羽健太郎さん、高久瑛理子さん、高森雄作さん、小池舞さん、藤谷みきさん、お手伝いに来てくれた上村聡さんと鈴木謙一さん
雑談テーマは昼と同じで「わたしのおすすめ」。ノンジャンル、自分でおすすめしたいものはなんでも結構ですとお願いしました。
みなさんの「おすすめ」がこれが面白い。着眼点が豊か。これを知ってほしい!という情報系も充実していて、皆それぞれがメモをとっていました。美味しいもの、元気の出るもの、教訓、ライフハックなどなど。人生はそれぞれに日々を重ねていること、そのことを改めて知ること。映画「ゴジラ」シリーズのこともたくさん学べて大満足。昼の回、どんな話をしても最終的になぜか爆笑になるのがいいですねー。太陽の光と共に、みんな溌剌としている感覚があります。
昼の旅で紹介されたおすすめです。
コーヒー
デーツとナッツを一緒に食べる (→差し入れしてくださいました!美味しかった!)
「ひとに頼る」
最近興味を持っている大道芸/スタチュー・パフォーマンス
「やわこ」(ゴルフボールぐらいの球体が二つ繋がったマッサージ器具)
皆の人となりが知れることの豊かさ。ここから芽が出る。生まれる感情がある。自分の知らなかった世界を知る。これからもっとみんなとおしゃべりをしたいと思っています。
休憩を挟んでいよいよ「オイディプス王」の輪読、第二回目。光文社古典新訳文庫「オイディプス王」(ソポクレス・河合祥一郎訳)をテキストとして、読み込んでいきます。
戯曲を読む 第二回 盲目の男テイレシアス
「読めば読むほど…面白い!」
戯曲を読む前に、まずカサギの私感を話しました。ストーリーとしてはシンプルなこのオイディプス王とどう向き合うか。ディテールに関してはツッコミどころが満載だと感じていること(オイディプスがえらそうなのが面白い)、わたしはコロスの演出方法について考えちゃっています、などなど。
ここからお手伝いに来てくれた友人の俳優である上村聡くんも一緒にみんなで輪読を始めます。物語のいきさつから再びスタート。
余談ですが、ト書きを読むにあたり登場人物の「テイレシアス」を読めずにずいぶん手こずりました。実は普段から難しいカタカナ言葉を読み間違えてしまうのです。困っています。
また、ページを読み進めていく中で翻訳の素晴らしさを感じました。リズムがいい。とても聴きやすいリズムになっているのです。河合祥一郎さんの翻訳の「身体」よ!
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前回読んだオープニングに書かれていることは、テーバイという国が「荒波に飲まれ」「死の波間に舳先をもたげることすらできない」ほどに荒れてしまった状態であるということ。ここで神官たちがオイディプス王にそのあまりの惨状を報告し、なんとかして欲しいと訴えます。
…神官からの訴えを受けてのオイディプスが私も苦しんでいるのだと本音を呟くシーンです。やっぱり何度読んでもこのセリフ好きだなあ。自分の国テーバイが荒廃していることを憂うオイディプスが施政者として何もできずに歯がゆい気持ちはわかりますが、これを言っちゃあねえアンタ、という気持ちにさせられます。オイディプスの人間らしさというか、ある意味かわいらしいところではないでしょうか。
ここでオイディプス王の妃の弟であるクレオン登場。アポロンの神託を伝達に来ます。
アポロンの神託は「この地より穢れを追放せよ」。その穢れをのさばらせ、不治の病を蔓延させてはならぬ、と。
ーーでは、その「穢れ」とは一体何であるのか?
これが、「オイディプス王」を貫く物語の柱です。
そしてクレオンは前王ライオスが盗賊に襲われ災難に見舞われたのにも関わらず、仇を打とうとしなかったこの国の悲しい過去に遡ります。なぜ仇を打とうとしなかったのか?その理由は以下のものでした。
…それどこではなくなったのです…ぼんやりしていて、いいなあ。
このように物語の幕が上がりました。
前回の宿題、スフィンクスについて
ここで前回も問題になったスフィンクスについての考察がはじまりました。一体スフィンクスとは何者なのか??
ここで赤羽健太郎さんが調べてきてくださったスフィンクス情報を発表していただきました。赤羽さんは皆の疑問をいつも丁寧に調べて我々に教えてくれます。感謝感激の嵐。ありがとうございます!そしてこれからもよろしくお願いします(甘えてます)!
「スフィンクスってなに?」
……もともとエジプトの神話の中の「怪物」という起源であること。そこからさまざまな国に派生していく。存在に諸説あること。太陽神の化身であった時期もある。王家の守り神のような存在だったこと。メソポタミアでは「死を見守る存在」となったことから、だんだん厄払いの存在にもなっていくようだ。「王の顔+ライオンの身体」や「鷲の翼」や「乳房のある身体」等、だんだん身体の要素が増えていった。当初は両性具有の存在であったがだんだん女性性を持った存在になったようだ。
…などなど、赤羽さんの講義は続きます。
…守り神だったスフィンクスは「オイディプス王」ではふざけたクイズを出して答えられない民を不幸に陥れる意地悪な存在になっていますが、そこで「怪物や妖怪の持ついい面わるい面」→「二面性」の話にもなりました。日本の妖怪もそうですね、などなど。確かに日本の妖怪たちはものすごく不気味な存在であるかのように描かれがちですが、人間の生活に優しく寄り添う「友達」でもあります。
話は派生して、「なぜテーバイという国にわざわざスフィンクスがやってきて人々を苦しめたのか?」という話へ。一説では前王ライオスの男色行為が発覚したためテーバイ王家に対する罰としてヘラがスフィンクスを派遣したと言われているそうです。「ヘラは全能の神ゼウスの奥さんで、けっこう激しめの神様なんですよね… 」とここからギリシア神話のとんでもない神様たちの話で盛り上がりました。とにかくギリシャ神話はぶっとんでいるのです。ひとつひとつ調べてみるととても面白いし、これ一体だれが考えたのよという劇的さ。一筋縄ではいかない深さに唸るところ。ギリシャの神々を詳しく勉強するのに一年はかかりそうです。
また、スフィンクスとオイディプスの戦いにおいてはクイズに正解するオイディプス王に軍配があがったと言われていますが、これは「呪い」と「知性」の戦いなのではないかという話にもなりました。これは確かにその通りだと思います。そして知性の勝利と簡単にいうこともできない物語の複雑さが、このオイディプス王には内胞されているに違いありません。「呪い」と「知性」の戦い…これは現代社会にも通じるものがありますね。
コロスの役割がいいよね!
次章【第一エペイソディオン(第一場)】はオイディプスとコロス、そして盲目のテイレシアスが登場します。オイディプスは自分がこのテーバイに来る前のこととはいえ前王ライオスが何者かによって殺害されたことを知らなかったことを悔やみます。そしてアポロンの神託にある「穢れ」の元凶である「殺し」の犯人を見つけて自首させるて国外退去にすると高らかに宣言します。
犯人探しをしよう! と息巻くオイディプスと会話をしているのは「コロス」です。コロスは「コーラス」の語源で、古代ギリシャ劇における「合唱隊」の意。このオイディプス王でのコロスは神官たち。つまりオイディプスの側近であり話し相手です。そこにとどまらず、物語を説明したり補強したりを担う「解説者」としてそこに存在しています。そのコロスが「立派な預言者、盲目のテイレシアスにアポロンの神託の意味を聞いてみませんか?」とオイディプスに提案します。
「何か」を知っているテイレシアス、その「何か」が「不幸」であることを示唆するのです。
…匂わせのテイレシアスは前回も話題になりましたが、こんなに思わせぶりな言葉を吐かれたら、オイディプスだってそりゃ怒るでしょう。怒りを煽っているとしか思えません。
そしてとうとうテイレシアス「この国の穢れとは、そなた自身なのだから」と言い放ちます。驚き困惑、そして怒り狂うオイディプス。「おれ?」ってなもんです。ここから二人のひどい言い争い罵り合いがスタート!コロスは「埒があかないのでやめてくれ。私たちがいま最も必要なことは二人の言い争いでは生まれない。どうすればアポロンの命令を果たせるのか? ということでしょう?」と喧嘩を仲裁します。
しかし、テイレシアスから出る言葉はオイディプスを責め立てるものばかり。おまえが、この国の穢れである、とはっきり明言します。そしてとうとう、オイディプスを産んだ父母の存在に言及します。その父こそ盗賊に殺された前王ライオスでありそして母はいま自身の妃であるイオカステであると、オイディプスはその事実を未だ知るよしもありません。
匂わせから、告白へーー大きなヒントを置いて、預言者テイレシアスは退場します。
次の章【第一スタシモン(コロスの群唱舞踏)】はダンスシーン
つぎのシーンはコロスのみが登場。ト書きには「正旋舞歌」と「対旋舞歌」と指示が書かれています。これはコロスたちの舞台上での動きのこと。「正旋舞歌」は「ねじれ」の意味をもつストロフェーとも呼ばれます。舞台上の上手から下手へうねりながら歌いという動きの指示であり、「対旋舞歌」はその逆。彼らはこの指示通りにうまく演出されれば上手から下手、そして下手から上手に動き、舞台上で美しく交差しながらこのシーンを盛り上げることができます。
ここでこのコロスシーンの演出をどうするか? という話で盛り上がりました! きっと円になって舞台上を一周するのであろうか、何人出てきたら面白いだろうか、「第一の対旋舞歌」「第二の対旋舞歌」と書かれているということはコロスどんどん出てこないと間に合わないからもうコロス100人くらいいてもいいねえなどなど意見も出ました。演出してみたい、オイディプス王。
ここで重要なのは、この「オイディプス王」をはじめとするギリシャ劇は「市民劇」だったであろうという推測です。
市民が参加する演劇を作ることが、街の団結にも祝祭にもつながりそうです。コロスは街の人々が演じていたであろうから(市民オーディションなんかもあったのでしょうか?)、人数は上演の都度変えられていたのではないかと思ったり。なんか古代ギリシャ劇に親近感を覚えます。
とここで、時間が来ました。次回は皆で「第二幕」を読み進めていきます!
参加メンバー大石将弘さんのアーカイブレポート
大石さん、ありがとうございます!声に出して読むのも考察の時間も本当に楽しかったですよね…!
さあ、次回の昼の旅は6月末。またみなさんとお会いできるのを楽しみにしています。
(文章:笠木泉)
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