小鳥の鳴き声と共に。
おはようございます。
今日も、曇った空が広がっています—。
小鳥がずーっと鳴いているのが聞こえます。
きっと、何かを仲間に伝えるために鳴き続けているのでしょう。
「鳴き声」と言う言葉と、「啼き声」と言う言葉がありますが、
何か違いがありますね。
「啼き声」は可愛らしい。
「啼き声」は、けたたましい---- 。と言う様な差がある様に思います。
(虚空を裂く様な---- 、何か、強靭な力を感じさせるものです。)
たましい-の、叫び声。とも言える様な気がしますね。
鳥たちは、どこでその持続性のある鳴き声の在り処を見つけるのでしょうか?
鳥たちは、どこでその無限のエネルギーに別れを告げ、死体を残さずに土へと還って行くのでしょう?
人も同じですね。その肉体のかけらは、どこへ行くのでしょうか?
そして、何故。そんなに頑張れるのでしょうか???(^^)
きっと----
どこかで喜びを見出したり、どこかで希望を見出す時に、
もしくは、空気を吸うことの喜び。または木の実をついばむ喜び。
または-----
啼き続け、囀り続ける喜びが----
逆に、そうやって発散し続けることの中にも。
その-いのち-を支える全てが有るのでしょう。
時折-----
こうやって、世界の隅々まで見つめる時。
そして、身の回りで起こる全てを見渡す度に。
何かがほつれているのを感じる事が有ります。
ほつれを解きます。
すると、途端に。
その「ほつれ」を作ってしまった誰かが----
笑っているのを感じます(^^)。
”ほつれを解こうとしなければ、解かなくても別にいい”のですが-----
敢えて。ほつれを説いているんだな。
と、気づき始めるのです。
これは、私だけのことではないでしょう。
大なり小なり。みなさん、日常でやっている事なのです。
ある人の歌を聴いていて、こんな事を思いました。
その歌詞とは、こうです------
「もしも僕が—
あなたを、傷つけたなら-----
僕の生きる意味は その罪を償う事だろう—」
以前、この歌詞を聞いた時・一瞬。
『何かが違うなあ』と、首を傾げたものでした。
何故、こんなフックがあったんでしょうか???
これは逆に。
「罪は償わなくていいんだよ。そんな事に時間を費やすなよ」
と言う様な—
聴くひとの内面の違和感をあぶり出すためだけの歌詞だったのではないか。
と気づきます。
罪を償う。どころか—
と言う話です。
問題は、そこにあった全てを回収し、
元の位置に戻す事。それだけなのかも知れない。
歌を聴いていると、いろんな情景が思い浮かびます。
歌っている人がどんな人か?と言う事にも帰依されるものでしょう。
さて、ここで、果たして?
今日、家の窓の外で啼いていた小鳥たちは、一体何を伝えようと、仲間内で囀り続けていたのでしょうか???
小鳥とは、どんな属性の-存在なのでしょうか???
小鳥がどこから来て、その生態はどの様なものなのか?
それにもよりますが、大抵はわからないものです。
どこかからやって来て、どこかへ帰って行きます。
『青い鳥』見つけたいですね(^^)。