バイアスとは何のか?-重要度のすり替え-
おはようございます。
ここ数日かけて、思い込みをどんどん手離した。と言う実感がありま
す。
思い込みとは、「認知バイアス」の事でも有ります。
認知バイアスと言うと、専門的ですし、一つの概念として括りやすいの
でキー・ワードとして使うにはとてもイージーだと気づきます。
そこで、この認知バイアスをよく紐解いてみると、一重に。
「何を重要である。と、見るのか?」
と言うとっかかりのみに掛かっている。そう感じるのです。
私は以前、2年ほど前から、「ヴァイラーギャ」と言う言葉に魅せられ
て、よく使う様になって行きました。
ヴァイラーギャとは、ヨーガの言葉で、「欲の一切を放棄する」と言っ
た意味合いです。
しかし、いざそれほどの境地にたどり着きかけると、
恐ろしいほどの強力なブレーキがかかってしまいます。
このブレーキがどの様な質なのか?見極めて行くと、
果たして。「バイアス」なのか?
「生存本能レベルの・違和感」なのか?
たちどころに判定出来てしまいます。
つまり、「執着」なのか、「心理深層レベルの・希求」なのか?
と言う判定である。と言えます。
重要度を高く見る。とした場合。
果たしてそれが「必要」なのか?と、よくよく判定してみます。
「必要」と言う漢字のワードを分解して見ます。
「必ず」「要る」。
つまり→「無いと死ぬ」レベルの事なのか?
これを判定する。と言う事でも有ります。
離欲と言うと聞こえはいいものですが、
ひいては肉体・精神レベルの死を意味します。
また、離欲を求める理由が、「生存本能レベルの希求」と合致している
か、もしくは、それを引き合いにした欲求であるのか?
ここを基本にしていない場合。
大抵の場合、空っぽになった肉体から、もっと深層の、
しかも、最新層にたどり着かないレベルの。
見えない引力に自動的に引っ張られてしまう結果となります。
結果。精神の死。となり、
その人を見ても生きているのか死んでいるのかさえわからない様なレベ
ルの大悟の仕方へと導かれてしまうのです。
「生きている」≒「スッキリ軽い」
この中間にある「≒」がうまくパワー・バランスしていないと、、、
とんでもなく、異様な世界観にその人を自分自身が置いてしまう結果と
なってしまいます。
ただ、このバランス感覚は、他の全ての階層の知覚と同じで、
「実際に体験したり、気づきを得ていないと、聞いたり見たりしていて
も分からない」はずです。
それを導くために、多くの支援者や、または家族や。はたまた、内面の
心の声が、その人を「底つき体験」へと導く事もあります。
そうでは無いと気づけない事もあるからです。
支援者や家族が。と言いましたが、
ごくフラットに見て見ると、、、
そこにはパワー・バランスが存在し、
その天秤の主軸はいつも自身であった事に気づくでしょう。
自然に行なっていた全てとは、
私の選択肢からの選択とハンドル切り替えです。
そして、その選択によって、
周りの全てが衛星の様に飛び交い・回り回っている。と言う事にも、今
なら深く気づく事ができます。
バイアスを抜け、本当の知覚への道をたどる際には、
この様に、
「相手の何かや・相手の全て。に、
一切頼らない。と言うバランス感覚が大切だと気付きます。
「必要では無い」と知ると言う事は、引いては、
「必ず。どころか、、、
絶対・要らない」
と、知ると言う事でもあります。
その保身と・保有の全ての可能性の放棄においてのみ、
バイアスの完全な解体=知覚への第一歩は踏み出せるのです。
したがって、推測出来ないような外側の何かや、
依存する相手の心理の読み込みのエラーと合致のループの繰り返しにお
いては、そのヴァイラーギャの健全な発言は、一切起こり得ない。と断
言できます。
何故ならば、ヴァイラーギャとは。
「ごく、心穏やかで、「無条件に」軽く・朗らか。あったかハートな
心」
つまり、「快適」である。至極・快適である。と言う事が何よりの必須
条件だからです。
大悟しても死んだように生きている実感があり、動く事もない。となる
と、あとは、死期を待つのみとなります。
それは、「生きることを前提とする、離欲」と言う階層とは違い、
もっと低層の知覚への逃避である。と理解出来るでしょう。
ひいては、「快適ではない何かを手離し切っている」
これが、バイアスの解体の本価であります。
深刻になったり、
重要視し過ぎて重くなる。
こんな事があるならば、即座に手放した方がいいと思います。
今、実感している次第です。
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