できっこないをやらなくちゃ

そもそも、できっこないの範囲が広すぎて困る!普通の人たちは普通に出来ているらしいことばかりなんだが!?なんて憤ったりもするし、「やりたいな〜」「出来たらな〜」って口に出してみたりもするのだが、その度に言われる「じゃあやればいいじゃん」にも飽きてきてしまった私がいる。やれたらやってるし、言ってないやい!

多分、「やればいいじゃん」はエールとか、軽い背中を押す気持ちなんだとは思うが、こちらとしては断崖絶壁にて「飛び込めばいいじゃん」と言われたような心地なので、温度差が凄まじい。

私には出来ないことが沢山ある。知らない場所やお店は一人で行くのが恐ろしいし、知ってる人に話し掛けるのが恐ろしい。友達にもちょっと緊張するし、五年以上一緒に働いてる人たちにすら話し掛けるのは至難の業だ。自分から何かをすることがたまらなく恐ろしくて、困難で、その度に泣き崩れるわけにもいかないから、私はずっと話しかけることが出来ていない。
社会に出て、十年ほどで出来るようになったのは「おはようございます」「お疲れ様でした」の挨拶と、レジでテンプレートのセリフを読み上げることと、「今日は暑いね」とかそういうのに「そうですね」って返すこと、「今日混んでるよ〜」って笑う人に「頑張ります」って返すこと。日常会話は未だに出来るようにならない。十年間、ずっと接客業だけを選んで生きてきたのは、話さなきゃいけない環境なら、荒療治だけど何か変えられるかもと思ってのことだったのだけど、なんというか、会話っていうのは難しい。

五年以上働いたって覚えてる職場の人の名前は五人くらい。ころころ変わる社員さんの名前はもちろん覚えられないし、新しい社員さんはいつも名前も知らないまま異動になる。人手の足りない職場だけど、人が少ないわけじゃないのに。

コロナがあって、毎日体温や体調を記入する用紙が用意された。私は体調が悪くなりやすかったから事細かに記入したけれど、いつも最後の確認印でつまづく。誰かに確認してもらって、名前を書いて貰わなきゃいけない。ぐるりと事務所を見渡せば、仕事してる人、電話してる人、おしゃべりしながら仕事してる人。いろんなひとがいる。でも、誰かに頼むためのシュミレーションをして、言葉を用意して、意気込んで、勇気を出して、そのひとに近付く……までに最低でも二十分は掛かる。そんなことをしていたら時間に遅れてしまう。だから、いつも、私は確認印を貰わない。面倒で貰わないひともいるようで、注意を受けたけど、たぶん、未だに出来ないし、今考えただけで胃が痛くて冷や汗をかいている。

そんなわけで、なんだかわからないうちに溜まりに溜まったストレスは、去年の11月の初めに爆発した。たくさんの鎮痛剤とお酒を飲んだ。まあ、早い話がODというやつ。鎮痛剤は市販のものだし、家族は救急車を呼ぶタイプでもないし、私は翌日、大人しく欠勤して丸一日嘔吐を繰り返した。これが初めてではなかったが、派手にやったのは久しぶりだったので、ちょっとやっべえな、なんて思ったし、このまま出勤を続けたらまた繰り返すなあ、と思ったので、職場にはやんわりと自殺未遂的なのをやらかしまして……とお伝えした。何を思われたかはわからない。電話も出来ないし、LINEで連絡するのにも過度なストレスを感じるものだから、自分でもろくに確認していない文章だったので。

かくして、人生初の引きこもり生活が今の今まで続いている。そろそろ社会復帰など考えてはいるものの、相変わらず、私は出来ないことだらけで、何にも克服していない。ほんの少しお休みをして、自分が如何に崖っぷちかを理解しただけである。

とりあえず、今日はここまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?