「タクシードライバー」―歴史的背景における社会への憎悪
映画が好きだ。
こんなことを学生の時に考えながら分析しながら映画を楽しむのもまた、学生らしくなかったのか。
OLとして、社会という事物そのものの一部になった今、やっと学生だから、感じていたものなのか。とも改めて認識のズレを修正した。
なんてたまに、感じながら時たま感じる脳内を駆け巡る言葉と分析と文字の数式を並べてみることにした。
アメリカ映画の「タクシードライバー」を取り上げて考える。マーティンスコセッシとロバート・デニーロという最強タッグによる映画であり、社会を風刺している深い作品である。性と歴史的背景が絡み合ったものであるが、それが美しく繊細に描かれている。名作中の名作だが、最初の印象としては、モヤモヤと進むストーリーの中で、ニュアンス表現の中に社会の闇の核心をつく作品である。背景に、ベトナム戦争を含んでおり、ランボーを頭に浮かべることができた。タクシードライバーは、1976年に公開された映画である。ベトナム戦争が終結(1975年4月30日)した翌年の映画である。あらすじは、26歳のベトナム帰りの元海兵隊員トラヴィス・ビックル(ロバート・デ・ニーロ)が、ベトナム戦争の影響で精神的な異常をきたすなか、タクシードライバーの目を通し、アメリカ社会を見つめることで、自分の存在を見直し、行動するストーリーである。
アメリカ映画の多くには背景にベトナム戦争がある。なぜなら、アメリカにとっての闇といっても過言ではないからである。自分からふっかけた戦争に自分が負ける。多くの死体の山に、多くの言霊が宿る。帰還兵は報いられることはなく、その衝撃や狂気、哀愁の中に閉じ込められたまま現代社会へと放り投げられるのである。社会から孤立した帰還兵の居場所はもはやない。葛藤と怒りとやるせない志が兵士たちの心を掻き立てるのであろう。世界には憎しみが満ち溢れている。背景に存在するベトナム戦争は、決して外せないのだ。この映画では、ベトナム戦争は、アメリカの青年に大きな影を落としている。このため、精神的な不安定さよりの不眠状態などより職に就けず、ポルノ映画により時間をつぶす生活から脱却しようとタクシードライバーになることを決める。また、この対象的な安定したシンボルとして次期大統領候補、チャールズ・パランタイン上院議員の選挙事務所に勤務するベッツィー(シビル・シェパード)が登場する。ベッツィーは、最初から官能的である。短くまとまった髪、目、衣装、全てにおいてこの時代の女を感じさせる。だがしかし、乱れたようではなく、清潔感や純潔な面がさらなる対照的な部分を際立たせている。このギャップを象徴するのが、デートの際にポルノ映画をみたあとの行動に見ることができる。お互いに相容れないそもそものジェンダーとして男女の関係の理想が異なっていることである。文化的、社会的に考え方、感じ方が異なるジェンダーの本質を突いている。
次に、タクシードライバーの客として登場するのが、幼いが売春で生計をたて学校にも行かないアイリスと名乗る少女(ジョディ・フォスター)であった。少女はヒモに、自分の性が恋愛対象でなく、利用されていることに気付き、憤りを覚える。これは、最後まで思いを理解されずに終わってしまう。あくまでも性の商品化として、女の性は商品であり、男性の視覚的、感覚的に性的欲求を満たすためだけに金銭で取引されるだけのものであった。現代にも通じるものがあるのではないだろうか。単純化されたこの社会システムの中でもがき続け、希望を持っていた少女はトラヴィスとどこか重ねてみることができる。性的な意味であり、背景であり。ここで、トラヴィスは、男性であることによる、女性を保護すべく役割に気付く。男性の攻撃的なシンボルである銃の練習や肉体改造に励むのである。なんといっても、途中で変化する彼の髪型には、驚かされるものがある。革新的で攻撃的な外見に、彼の狂気さが物語る。この後の、鏡に向かって話をする「You talkin' to me?」セリフは、特に有名であるが、これも自己陶酔をする異常な性癖を表すものである。性の対象として、対峙することで生きていることを感じている。彼は常にセクシュアルであり、常に目は女性を射止め犯している。目の視線、口の動き、目線の使い方から見て取れる。食料品の強盗事件についは、刑事気取りの正義の立場にたつこともある。今度は、この正義の立場と考えてしまい、大統領候補を殺そうとするのであった。場面場面に応じて、それぞれの正義に扮しているようだが、履き違えている彼の考え方は、ある意味、自分自身で救いの糸口として見つけ出したものであると考えられる。暗殺が失敗に終わったトラヴィスは、少女のヒモである(マシューのあだ名)スポーツ(ハーヴェイ・カイテル)を撃ち社会のヒーローになってしまう。
最後のシーンは、トラヴィスの車にベッツィーが乗り込み、彼女を下ろしたあと、彼は夜の街をタクシーで一人彷徨い続ける。このシーンは、お互いに住む世界の違いや価値観の相違を暗示させ、今後の展開を投げかける形でラストを迎えるようにしている。もう相容れない2人を社会の仕組みが作り出したのだ。これらの映画の背景に精神的不安定であるベトナム戦争の影響や男性、女性のジェンダーをからめ、その思いの違いからのすれ違いを表現した映画である。
各シーンの考察を行ってみる。ポルノ映画館の入口には、ミロのビーナスの像がおいてあり、芸術とポルノの関係性を暗示させる設定となっている。性が入り乱れているのだ。主人公トラヴィスは、人並みに生きていきたい。しかし、この町の、売春婦、街娼、ヤクザ、ホモ、オカマ、麻薬売人を悪として、雨で流れて欲しいと願う。雨のシーンがとても多い。常に濡れた街である。汚いこの世の中に対する狂気と悪が雨に流れる事を願うこと、そして、性に対するセクシュアルな部分とを両方で見て取れる。雨のシーンがとても多いのは、これであろう。
パランタイン上院議員を乗せたときにも、大統領なら何とかしてくれという。現代の社会では、LGBTは悪ということは、ジェンダーフリーとなる時代には、そぐわないところもある。しかし男性は、ポルノ映画が好きで、女性はポルノが嫌いな設定となっている。やはり、性に対しての感覚の違いであろう。これによる貞操観念が根強く基盤にあることは間違いない。黒人を乗せない、黒人の危ない地域には立ち寄らないということは、気にしていない。その後の客も、「君の肌の色は美しい」とより肌の色を強調し差別を表現し、わざと際立たせているのだ。しかし、他の登場人物は、妻の浮気相手が黒人であるならば44口径のマグナムで股間から打つという強烈な性へのはけ口と黒人差別を表現している。(42分頃)人間表現としては、ちび、小男、イタリア人はなどこの映画では、ステレオタイプな見方の登場人物を設定していることが見てとれる。
社会の仕組み、社会に対する怒りや憎悪を抱えるトラヴィスが抱える大きな闇を、社会は受け止めきれなかった。大きな波に飲み込まれた社会の中で、彼の想いは、狂気へと変わっていった。狂気となったその矛先には何かこの世を大きく変え、示したい想いがあったのだ。そこで自分の存在を示すために、裏社会から銃を入手し、筋肉を鍛えなおす。(58分ごろ)このことで、自分を目指す正義、価値観を見出そうとしている。アイリスは、拘束されたいはずであるが、自覚がなく、救い出したいところがある。トラヴィスは彼女を誘いだし一生懸命説得をする。(1時間27分)これは、いわゆるストックホルム症候群で、誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意等を抱くことをいう。これも正常なのかどうか心的な内容について考えさせられるシーンである。おかしいのは、私とあなたのどっち?というセリフがある。交錯する社会を表現をし、重ね合わせていることが分かる。そもそも職業による人格は形成されないが、型にはめる傾向が社会にあることは、否めないことであるとわかるものだ。スポーツが、さらに必要な存在であるとアイリスに語りかけるシーンでは、レコードをかけささやくシーンで異常とも思える信頼関係を構築している。心の居場所を見失った少女にとって、恋愛感情と偽りでもすがるように、安心感を求めているのだろう。(1時間31分ごろ)大統領候補を殺害する決意をし決行をする前に、ベッツィーから突き返された花をもち、未練を断ち切ろうとする。そして、We are the people.のバッチも廃棄されたはずの下線をareにあるバッチをつけていた。これは、気になるが意味が理解できないままだ。最後のアイリスを救い出すあと自分も死に存在したことを確認し、その存在を消そうとしたが、玉が切れ警察官に囲まれた後のその意志をしめし、指で銃を作り2発を頭に打ちこむ真似をするのである。ベトナム戦争で失ったかもしれないとう人生を再度確認した瞬間であったと思われる表現であった。一番最後にはアイリスの両親より感謝状が届く。このことでそのアイリスの存在を再確認できる。最後にベッツィーが客としてトラヴィスのタクシーに乗るが、終始ミラー越しであり最後に料金を聞かれたときに初めて直視をして走り去っていく。緊張感の漂う社内では、ミラー越しでありながら性的でセクシュアルな彼の目線が印象的である。
タクシードライバーの映画の中での映像美は、何かと闇を抱えるものを感じられる。雨のふる街、無機質に冷たく感じるこの絶妙な雰囲気常に水に濡れている。なぜか、裸足で女が歩いているような、そんな風にも感じた。出てくる女性に注目してみる事ができた。女性は全て性的で官能的である。風俗やポルノを連想させる。セクシュアルな色気の中に、無機質な少女達の痛みや、男の欲望に溺れた臭さが残る。性的な意味を含み、剥きざらしの少女たちの心の中に、安心できる彼らの居場所を見つけることはできない。この作品では、主人公のトラヴィスはもちろん、娼婦達の抱える官能的な目は男達を虜にする。男達は、女の性を商品化し、金銭を対価に性を売る。安い賃金で身体を売る彼女達の心は、ここにあらずである。楽しく笑い、ひょうきんな顔をして男を誘う彼女たちは、その買い手にすがるように愉しむのだ。少女達の目には孤独と剥き出しの幼い純情さが垣間見えるところに、隙を見つける事ができる。
この映画に全てが満たされることはなく、ネオン街の中にあの印象的なゆったりとしたトランペットの音色が響き渡る一見おしゃれで吸い込まれるような美しい映像の中には必ず対照的な狂気や緊張感が保たれている。そのコントラストが美しさをもたらす。タクシードライバーといえば、あのトランペットの音色だ。哀愁を感じさせるゆったりとした曲調は、彼の心の余裕の外見と内面の対照的に感じられる。狂気に掻き立てられた彼の目には、狂気と哀愁が漂う。復讐や憎悪ではなく、なぜか人間臭い愛を感じるのもこの映画の深みである。目の前で、自分が実際に歴史的背景や、当時の現実社会が分からないからこそ善悪のつけようがなく、疑いなく「真実を知れ」というメッセージではなく正解はないただ混沌とした泡沫の狂気や哀愁を一人の男を通して描かれている。この映画では、女性も男性も性的に描かれており、社会的、文化的な違いとしてのジェンダーの存在が対照的に印象的に描かれており、ジェンダーとセックスの両方が常に入り乱れ、歴史的背景とともに何か読み取りきれないものを感じる事ができる。
そう感じるのは私だけかもしれないけれど、とりあえずメモがわりに。
物の数分でここまで書き留められるその能力だけは、自分の中で認めてあげることにしよう。
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