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我ら死すとも大義は死なず(政治勢力としてのリベラルの行く末)

 (https://x.com/nybct/status/1854080236637262039より引用)

 アメリカ大統領選が終わりました。あと兵庫県知事選も。
 で、アメリカ大統領戦後に見たこのtweetについて少し考えてみます。

 僕はアンチリベラル、というかアンチJ・リベラルなのでこの手の文を書く時は煽りっぽい文になる傾向ですけど、今回はその辺を抑えて書きます。

 これ、僕のイメージなのかもしれないんですけど、

 

リベラリズムの大義って「弱者」を包摂すること


 だと思うんですよ。
 違うの?

 違うならこの話はそこで終わってしまうんですけど……まあそうでないという前提で進めます。

 白人の労働者階級/低所得層、ラティーノ、黒人が社会的弱者の烙印を押されているならば、彼らに手を差し伸べ包摂し救済するのがリベラリズムの大義ではないんでしょうか。

 弱者でいることに耐えられなくなって、‘‘強者‘‘に魅せられてしもてんな、などと他人事のように言ってていいんでしょうか。

 だって、そういう「弱者」から、もうリベラリズム、民主党は自分たちを包摂し救済しようとしてくれないんだ、と絶望され見限られてるんですよ。
 しかも、絶望して棄権されているならまだマシで、相手の方が救いがあると思われて相手に投票されている。

 大義とは存在意義でもある。


 それに重大な疑念を持たれてる状況って相当にヤバいと思うんですけど。

 そして、もう一つ。

 選挙は基本的に票をたくさん集めた側が勝つんですよ。
 アメリカ大統領選はかなり特殊なシステムですけど、それでも票を沢山取る側が勝つのが原則です。

 そして、
 
 

近代選挙は一人一票です。


 大卒エリートも、高卒労働者も、西海岸の億万長者ミリオネアも南部のヒルビリーも、黒人も白人もラティーノも、男も女も、リベラリストも保守主義者も、如何なる宗教を奉ずる者も、持つ票の価値は変わらない。
 
 票の取り合いという選挙選において、自陣営に入るはずの票が相手に入るということは2票の差が生ずる由々しき事態です。
 ‘‘強者‘‘に魅かれてしもてんな、と評論家みたいに言ってる場合でしょうか。

 

 性的マイノリティとか難民とかそういう人が「弱者」だ。
 白人労働者/貧困層、黒人やラティーノ……そんなものは弱者ではない


 というならそれはそれでいいと思います。

 しかしマイノリティに彼らにフォーカスして最優先に寄り添っていては一人一票の選挙システム下では勝てません。絶対に。
 だって少数派マイノリティなんですから、勝てるわけがない。

● 

 第一、本当に少数派マイノリティや「弱者」のために何かしたいなら、選挙で勝たないとダメなのでは?
 仮にトランプが邪悪な差別主義者で、少数派マイノリティを迫害するのならば、それこそ何が何でも勝たないといけないんじゃないんですか?


 (https://x.com/hokusyu1982/status/1858116459895128561より引用)

 仮に広告屋の手法で大衆をコントロールして勝てるなら、自分たちだって同じことができるはずでしょ。
 なぜやらないんですか?

 自分たちの「正しさ」を、有権者に同じ手法で届ければいい。
 ……と思ったんですけど、リベラルがとった選挙戦略がこれじゃあね

 

https://x.com/mdriiiii333333/status/1858117769881178480より引用)

 第一、広告屋の手法が云々なんて、今に始まったことじゃありません。
 いいか悪いは別として、民主主義の根幹たる選挙制度にはそれをハックする手法が存在しています。
 選挙コンサルなる職業が成立するのがその証左ですよ。

 メディアによる扇動、ネガティブキャンペーンCM(日本ではあまり見ないけどね)、候補者のイメージ戦略、いくらでもあったでしょ。
 今まではその主戦場がマスメディアだったのが、SNSに移行してきただけです。

 そのような「姑息な手」は使わない!リベラリズムの大義に殉じて沈む、というならそれはそれでいいでしょう。
 まあ民主党もリベラルも全くクリーンではないと思いますけど、それはそれとして。

 しかし、そうじゃないなら、真剣に考え方を変えた方がいいんじゃないですか? 
 そもそも、世間から見捨てられ大衆の支持を失った「大義」に価値はあるのかは疑問ですが。

 (https://x.com/mipoko611/status/1855449266443124934より引用)

 負けた時に、相手を愚民と見下すのはとても簡単です。
 アップデートできない「弱者」が悪いんだ、正しい世界がやってこないのは、扇動に乗せられる愚かな大衆の責任だ、という結論は、自分達の世界観に整合的で気分も良いと思います
 でも、それでいいの?

 こういう結論にしておけば、そりゃ勿論心の平穏は保たれるでしょう。
 でも、普通選挙下の世界では今後も同じように負け続け、理想の世界はいつまでたってもやってこない。

 ていうかこの手の人たちは本当は恐らく

 選挙も民主主義も嫌い

 
 なんですよね。

 「正しい」世界、あるべき世界という概念を持つ人にとっては、選挙はその世界に至ることを妨げる不確定要素です。
 そんな揺らぎは邪魔なだけでしょう。

 かつて選挙や民主主義を嫌ったのは貴族とかそういう既得権益側だと思うんですけど。
 リベラリスト自由主義者が今やそうなっているのは中々趣深いです。
 


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