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おらは人気者(新聞記者の世界観について)
西山記者が亡くなったそうですね。
まあ彼の「功績」については置いておきます、本筋と関係ないので。
当時のプロセスには様々な論評はあるが、人生をかけて密約の存在を伝えた。おつかれさまでした→元毎日新聞記者 西山太吉さん死去 沖縄返還巡る日米密約を報道 | NHK | 訃報 https://t.co/ditkjao03K
— Shoko Egawa (@amneris84) February 25, 2023
(https://twitter.com/amneris84/status/1629467664757440513より引用)
ではまず、西山記者の「取材手法」について最高裁の判決要旨を見てみましょう。
>当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で女性の公務員と肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたなど取材対象者の人格を著しく蹂躪した本件取材行為(判文参照)は、正当な取材活動の範囲を逸脱するものである。
機密文書を入手するための手段として女性事務官と肉体関係を持ち(確か酒を飲ませて、でしたっけ)それを餌にして機密文書を持ち出させた、と。
これ、アリなんですかね、女性の人権的に。
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この取材手法を批判しないというか消極的に容認してしまうことについては、記者という職業人の世界観を考えれば理解できます。
記者の世界観は概ねこんな感じと思われます。
1・権力とは公権力(政府与党。広義には大企業も含む)である。
2・権力は腐敗するものである
3・よって権力は市民(を代表するジャーナリスト)によって監視されなくてはならない。
悪の公権力と善なる市民という単純な二元論世界なんですよね。
この三段論法は2だけは正しいと思いますが、まあそれは後述します。 で、この三段論法には補足事項があります。
公権力は市民よりはるかに強力であるので、市民側が公権力に対峙するための行為は例え違法性を帯びても止むを得ない。
なので例えば西山某が、官僚の帰途を襲撃して書類を強奪したとか、役所に潜入して文書を盗み出して公表した、であっても記者仲間は大絶賛したでしょうね。
「様々な論評がある」などという歯切れの悪い言い回しになっているのは、この件に、酒を飲んで手籠めにされて利用されて人生を狂わされた女性事務官がいたからです。
流石にこれは絶賛はできませんよね。
女性を酔わせて手籠めにして情報を盗ませ人生を狂わせたなんてね。
ではこの女性のことは記者の世界観ではどうなっているのか?
女性の人権との整合性はどうなるのか。
記者の世界観では、この女性事務官は
「女性」ではないんですよね。「公務員」なんです。
人権を守られるべき善良な「女性」ではなく、悪の権力の走狗である「公務員」。
なので「女性」を性的行為により脅迫したのではなく、「公務員」の弱みを利用しただけである、と言う理解となる。
取材源秘匿の不十分さも同じです。相手が「公務員」だから許される。
フェミニストが家父長制に親和性のある女性を攻撃する時に「お前は女性ではない、名誉男性だ」という言い回しを使いますが、其れと同系列です。
この理路で、蹂躙された「女性」の人権を他の属性にすり替えている。
上のtweetへの引用で
>西山太吉の位置がもし保守系新聞の記者で不祥事を暴いたのが逆に野党側だったら間違いなく批判することをみんな確信してるからだよね。
と、氏のダブスタを批判するものがありましたが、新聞記者的世界観では権力とは公権力であり、公権力とは政府与党です。
だから野党の不祥事を暴くのは悪の権力への批判には該当しません。よって当然その記者の手法を非難するでしょう。
記者的世界観ではダブスタは無く一貫しています。
勿論誉めてはいません。
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もう少し続けましょうか。
この記者的世界観においては、記者とは市民に代わり邪悪な公権力の腐敗を暴く市民の味方、という位置づけになります。
例えば共同通信の記者が、JAXAの会見で大変アレな態度をとったようで問題になってましたが。
JAXAの会見の
— Minazo🐘 (@minazo4949) February 17, 2023
共同通信の記者の捨て台詞 pic.twitter.com/fYwX3yNWzQ
(https://twitter.com/minazo4949/status/1626457557446594561より引用)
自分たちは正義の側という世界観なので、ああいう場で、専門家にああいう風な発言をすることがどういう風にとらえられるかというメタ視点が全くないんですよね。
好意的な反応を得られると思ってるなら世間と認識がズレすぎてる。
https://togetter.com/li/2076790
これもそうですけど。
僕はとある副業で原稿を書きますが、編集の人と何度もチェックしてやりとりしますし、それは当然だと思っています。
周りの文章書きも同じです。
それに、そうする方が複数の視点が入りより良い文章が出来上がる。
一方で記者的世界観では、ゲラチェックされることは驚くべきことなんですよね。
彼らからすると「俺達新聞記者だよ?信用されて当たり前だろ?なんでチェックを求められるの?俺達を疑ってるの?」くらいの感じなんでしょう。
でも「ゲラチェックさせて」と言われるのは、端的に言って信用されてないと言う事に他なりません。
それは単なる能力の面かそれとも記者と言う職業のモラルか、その辺は差がありそうですが。
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記者的世界観は悪の公権力(政府、大企業)と善の市民という極めて単純な二元論世界です。
でもこの世界観が既にオカシイんですよ。
この世界観のおかしい所はいくらでも指摘できますが、そのうちの一つをいうなら、報道機関って既に巨大権力なんですよね。
権力とは与党政治家とかという認識が古すぎますし、大企業を権力に含むなら報道機関だって大企業だから権力側ですよ。
権力は監視されなければ腐敗する、というなら、報道機関という権力も当然監視されてしかるべきです。
ゲラチェックも市民から権力側への監視の一環でしょ。
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上記動画の記者も、颯爽と公権力の不正を暴く市民の代表のつもりでしょうけど、一般人からすれば記者は大企業の社員であり、まごうことなき権力者です。
市民代表、敢然と権力を追及す、のパフォーマンスは滑ってるので辞めた方がいいと思います。
この記者的世界観をどうにかしない限り、彼らの凋落は止まることはないでしょう。
でもゲラチェックの一連のtweetを見る限り、若手にもこの世界観は共有されているようなので、根は深そうですね。
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最後に余談ですが
先日、匿名でSNSで暴れていたアカウントが、共同通信記者であることが確定しました。
今後各方面から訴訟を起こされる可能性があるとのこと。
一連の暴言は中々酷いものがありますが。
なんでこんなことしたかと言えば、自分が内面化している記者的世界観と現実が重大な齟齬を起こしているからなんだろうな、と思っています。
市民のために権力と戦ってる自分達、市民から支持され愛されるはずの自分たちがマスゴミなどと呼ばれている。
その状況が受け入れがたい。許しがたい。
でも全く改善しないから、匿名で憂さ晴らししたんでしょうね。
代償が高くつきましたが。
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3/1追記
「正しい」やり方だけでは倒せない巨悪と対峙した時、どうするか。報道の世界には「目的が手段を浄化する」という考え方もあり、西山事件はまさにその一つだったように思います。「運命の人」に合掌を。
— 武田啓亮 (@takedareporter) February 25, 2023
元記者の西山太吉さんが死去 91歳 沖縄返還めぐる「密約」報じるhttps://t.co/5sF3dfJXzV
(https://twitter.com/takedareporter/status/1629449192920719369より引用)
上記の記者的世界観、新聞記者が実名で同意してくれてたので貼っておきます。
ありがたいありがたい。
しかし、これを記者の肩書付き&実名で公開してしまうあたり、本当に浮世離れしてますね。
自分達記者はは大衆に支持されており、この意見も当然に受け入れられる、と思ったんでしょうか。
仮に記者的世界観としてそうであっても、これを発信するのはヤベェから控えようとか思わないのでしょうか。