暇つぶし無駄話#1「YouTube」
普段は小説の感想のようなものを投稿しているのだが、
そればかり書いていても飽きる。
私は飽き性なのだ。
なので、なんとなく思いついたことを脈絡なく書いてみる。
特に意味はない。
あえて言うなら暇つぶし、カンフル剤、といったところか。
暇つぶしの無駄話である。
自称若者
私もまだ若者と言えるだろう。
ギリギリ20代なら若者と言っていいはずだ。
そう、若者であるからして、YouTubeなるものはそれなりに見ることがある。
広告が鬱陶しいし音楽も聞き放題になるのでプレミアムにも登録している。
そんなことはどうでもいい。
罪悪感
私が見るのは主にキャンプ・本・映画に関する動画ばかりだが、ついつい次々と再生してしまい1時間くらい経過してしまうことがある。
そんな時、私は猛烈な罪悪感に襲われる。
別に他にやるべきことがあるのに見ていたわけではない。
暇だから、興味がある動画を見ていただけ。
誰に迷惑をかけたわけでもない。
それなのに罪悪感をおぼえてしまう。
あぁ無駄な時間を過ごしてしまったと。
暇つぶしin自宅
自宅で暇なとき、何をして過ごすか。
私はYouTubeのほかに、映画を見るか小説を読むことが多い。
映像を見るという観点では映画を見るのとYouTubeを見るのでは近いものだあるだろう。
それでも映画を見た後に罪悪感に襲われることはない。
もちろん小説を読み終えても罪悪感に襲われることはない。
達成感
達成感だ。
映画を見た後は満足感と共に微かな達成感を感じる。
小説だと一冊読み終えるのに映画一本見るより時間がかかるからか、より達成感を感じる。
対してYouTube。
動画をいくら見たとて達成感を感じることはない。
なぜだろうか?
別にYouTubeを馬鹿にしているわけではない。
(まぁ、世間一般的なイメージでいうところの所謂YouTuberの動画は何が面白いのかはさっぱり分からないが・・・)
少なくとも自分が見ている動画はもちろん面白いと思って見ている。
血肉
映画や小説は、見終わると(読み終わると)、僅かでも自分を構成するものの一部になった感覚がある。
所謂血肉になるというやつだ。
ところがYouTubeの動画を見てもそういった感覚はない。
どこか他人事として見ている感覚がある。
例えば本を紹介するYouTubeを見ても血肉になった感覚はないが、動画の中で紹介された本よ読んだときは血肉になっている。
ここで重要になってくるのはやはり「自分で経験した」という事実だろう。
他人の経験を聞いたとしても自分が経験したことにはならない。
(厳密に言えば映画や小説も他人の架空の経験を映像や文字を通して見てるだけだと言われればぐぅの音も出ないが、そこは個人的感覚の問題としてスルーの方向でお願いします)
対策
ではどうすれば罪悪感をおぼえずにYouTubeを見ることができるか、具体的(?)な方法を考えてみよう。
自分の血肉になった感覚があれば罪悪感をおぼえまいのであれば、YouTubeの動画も血肉になると思い込めばよいのだ。
具体的にはYouTubeの動画を見ることによって自分の血肉になるようなコンテンツに出会うきっかけになると考え、間接的に血肉になっていると思い込めばよい。
ようは気の持ちようですな。
そうすれば少なからず罪悪感は抑えられるのではなかろうか。
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