#9 ハサ場と天日干し米
稲穂が黄金色に染まるころ、十日町市のあちらこちらで、ハサ場と呼ばれる建造物が作られる。刈って束にした稲を天日干しするための棚で、観察してみると、杉の立ち木を利用して横に丸太やロープを渡していたり、単管パイプだけで組み立てていたり、様々な形態がある。さらに観察してみると、集落ごとにハサ場の作り方が似ていたり、すぐ隣の集落ではまた別の作り方をしていたりと面白い。
稲を掛けてしまうとその違いが分かりづらくなるし、どのようなハサ場で干されても、天日干しされたハサ掛け米は追熟がすすみ、美味しくなると言われている。
組まれたハサ場は雪の降る前に解体されてしまうので、米の収穫期前後にしか、その建造物を楽しむことはできない。米どころ十日町の秋の風物詩だ。
僕自身も十日町市に越して以来、米づくりを習い、ハサ掛け米をつくっている。最初に住んだ松之山エリアでは、ハサ掛け用に等間隔で植えられた杉に丸太を渡して8段のハサ場を作った。こちらは、一度作ってしまえば、強度もあり、ハサ場を上下左右自由に動き回れる利点があった。ただ、丸太を8段目まで上げなくてはならないので1人で作業することができない。空いた時間に1人でパッと作業することができず、時間もかかった。
ハサ場が足りなくなると今度は、鉄製の三脚に細めの単管パイプを渡したものに稲をかけた。
松之山から松代に越してみると、また違ったハサ場の作り方をしていた。こちらは杉の立ち木に8段分のロープを渡しているだけだ。このやり方だと、松之山の時のように上下左右に動くためには梯子を使わなくてはならない。それでも「これなら1人でも出来る!」と思い、集落のKさんに作り方を教えてもらった。Kさんは僕にハサ場を貸してくれた方で、僕のすぐ隣にご自身のハサ場もあった。稲刈り時期が少しずれていたこともあって(ただ単に僕が遅いだけだけれど)、「俺のが終わったら俺のハサ場も使っていいぞ」とも言われていた。
翌年、1人でハサ場を作っていると、Kさんが「お茶を飲もう」と嬉しそうな顔をして様子を見に来てくれた。その秋も僕は自分のハサ場に稲を掛けた後、Kさんのハサ場も借りて米を干した。ところが冬が来る前にKさんは急逝された。そして、僕がKさんが組んだハサ場も片づけることになった。
再び骨組だけになったKさんのハサ場を見て僕は息をのんだ。杉や丸太に黒と黄色のトラロープを固定する紐の結び目がとにかく美しかったのだ。どの結び目も同じ方向に結われ、紐の長さも均一になっている。僕は思わず家までカメラを取りに帰り、その結び目を写真におさめた。
「美は細部に宿る」。
稲を掛けてしまえばどれも同じように見えるハサ場もディテールは大違いだ。僕の結び目は向きも紐の長さもまちまちだ。Kさんの結び目は、無駄がないからこそ美しいのだ。
十日町市に移住してきて約7年半が過ぎた。その間、ここでの暮らしを吸収しようと見様見真似で学んできたつもりだった。ただ、僕が真似できていることなんて、ほんの上っ面にしかすぎない。
僕は今年、8回目の米作りに挑んだ。6、7月の生活が祟り、収穫期を迎えた田にはヒエが生え、さらに一部では稲が倒伏していた。そんな田を手刈りしていく。ある夕方、隣の田のお母さんが腰に藁をくくりつけて歩いてきた。隣の田はすでに稲刈りが終わっていたのに…。
「こんな遅い時間からで申し訳ないけれど、ちょっと(私を)使ってくれないかい?」と言いながら稲刈りを手伝ってくれたのだ(僕は耳が悪くて、なかなかこちらの言葉を正確に聞き取れないのだけれど、要約するとそう言っていたように思う)。
手伝ってくれた上になんと謙虚な物言いだろうとすっかり恐縮してしまうやら、草だらけの田んぼが恥ずかしいやら、なんとも言えない気持ちになりつつも、とにかく嬉しかった。
お母さんはヒエが生え倒伏した1番面倒そうな場所を刈ってくれた。「さあ、そろそろ日も暮れるし、終わりにしましょう」と声をかけたとき、僕はびっくりしてしまった。お母さんが刈ったところだけ、きれいにヒエなどの草が取り除かれ、刈られた稲の株だけが地表に残っていた。まるでそこには雑草など生えてなかったかのように。翻って自分の足元を見つめると、稲と一緒に刈った草が散乱し、株の上に覆い被さっている。
「短い時間でごめんね、ごめんね」と言いながら、お母さんはすぐとなりで草を刈っていたお父さんの軽トラに乗って帰っていった。
手伝ってもらったことも嬉しかったけれど、「草だらけの田では稲はこうやって刈るのよ」という大切な教えがそこにはあった。
暮らしを真似る(学ぶ)なら細部まで真似(学ば)ないと…、と日々痛感している。駆け足で過ぎてゆく秋に学ぶべきことはたくさんある。
『究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたりー』 世界有数の豪雪地として知られる十日町市。ここには豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建もの・まつり・美」のものがたりが揃っている。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、雪の中に楽しみさえも見出してこの地に住み継いできた。ここは真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国である。