久しぶりのノートです。 あれからことごとく就活に落ち、 結局事業所のご縁もあって、 以前から施設外就労でお世話になっていた耕園で一時的に働ける事になりました。 2日前に大好きな事業所のみんなやヘルパーさんとのお別れがあり、 書いたか忘れたけど2月末には凄く信頼していた主治医の先生の転勤もあり、 なんでこんなに大好きな人達との別れが続くんだろう、 うまくいかないんだろうと どうしても前向きな気持ちになれなかった。 泣き腫らした後には何も感じない。今は淡々と仕事をしていくのが
ネット就活して10日ぐらい?経つ。せっかく就活しても、支援員さんや事業所の人やヘルパーさんから、あれこれ(良かれと思って)意見をもらったり、ネット見てても全然魅力的に感じるモノが目に入ってこないと疲れて来た時 これって、失恋した(ずっと1本に絞っていた事業所に就職出来ないと分かった)後に婚活(就職サイトで職探し)しているのと同じなんだなって思った。 そりゃワクワクする訳ないよね。 とにかく今は自分を癒そう。 そう思って今日は死ぬほど寝た後、事務作業して、洗濯したら、1件
事業所に戻って4日目。 5月からだんだん頑張って身体を慣らして来たのに、たった2ヶ月休んだだけで、ヘロヘロになってる。 これが、4月にはフルタイム週5で 働かなくちゃ行けないのかと思うと、本当にじしんがなくなる。 昨日はもう就活に疲れちゃって、事業所のみんなが私が戻ってきて嬉しそうにしてたり、声をかけてくれたり、優しくしてくれたりしたら、 家帰ってきたらなんだか余計辛くて だから昨日は就活しないで、カウンセリングスクール同期のみねみねのノート読んでた。 スクールを出てか
10月から不吉なことが続いていて、11月中旬から2ヶ月、農業をやっている就労支援B型事業所を休所していた。 あらゆる不吉な出来事が原因で、爆発的な躁状態になっていて、薬で抑えたりもしたけれど、過剰な過食で今までこんな事はなかったけど2週間で10kg太り、初めてパニックになって救急車を読んだりもした。今は少し体重は戻したけど、2ヶ月間の記憶は殆どない。 ただ、事業所に就職できるとは信じていたんだと思う。だって通所していた初めから来て欲しいって言われていたし、その為なら何だっ
私は事業所の皆が大好きだ。 私が大好きだったアメリカがこんなに近くにあるなんて思っても見なかった。 なぜかって、留学時代の活き活きした私が20年振りに帰ってきたからだ。 誰もが自分自身でいる。 疲れたら疲れたと言う。 休みたい時は休む。 そんな当たり前の事をずっと規制してきた。 大人だから。 社員だから。 お姉ちゃんだから。 年上だから。 ここの皆がには上下がない。 出来ないことをできる人がやる。 作業がゆっくりの人もいれば、 話すのが苦手な人もいる。 わたしはそんな
障害者を通して見つけた「ありのまま」の自分 私がオーバーワークと自分自身を責め続け、精神疾患を患い、流れるように導かれカウンセラーになった事。 今回の不調時に、 友人を通して支援員さんと出会えたこと、 そしてこの就労支援B型事業所と言う所にたどり着いたことは本当に奇跡的だったと思います。 なんとなしに生活リズムと体調を整えたいと、農業をやっているこの事業所にやって来た時、障害を持つみんな(利用者)のあたたかさに自分の心がすーっと溶けてゆくようでした。 「あなたはあなた
ノートを始めた動機として、私が事業所で働くための金銭的な応援をして欲しい!それが1番です。 うつなどの精神疾患や知的障害を持つ障害者があつまる我が事業所(就労支援B型事業所)に、私は多くの可能性を感じています。 一緒に過ごすみんなも、事業所が農業をしていて、それを通して皆が社会と触れ合うきっかけ作りをしたり、なによりも皆が作る野菜は本当に美味しいし(野菜は正直だから)、現在直営店がないので、品出しに行くと、実際パートのおばちゃんが彼らに癒されている姿を目撃します。彼らだ
心屋認定カウンセラーのKIKIです。私は2017年、外資系企業のプロジェクトリーダーを担う中で、精神疾患を患い休職。その中で心屋カウンセリングと出会、カウンセラーの資格を取得しました。 そんな中、復職して奮闘しながらも仕事をしていましたが退職し、現在は就労支援B型という施設で精神疾患や知的の障害者のみんなと農業をやっています。 障害者のみんなと関わる中で、彼らがいかに素晴らしい才能を持っているか、ただその才能や素質が「障害者」というだけで、世の中やご両親からは「欠けている